カーボベルデ
国旗のデザインの意味と由来
青は大西洋と空、白は平和と安定、赤はポルトガルからの独立闘争で流された血をあらわし、10個の星は国を構成する主要10島を示しています。青と白の組み合わせは、旧宗主国であったポルトガルの王国時代の国旗の色にあやかったものといわれています。でも実は、1975年の独立後には、ギニアビサウの国旗🇬🇼とよく似た汎アフリカ色の国旗を使っていました。
これは、ともに独立運動を展開したギニアビサウとの将来的な統合を意識していたためです。しかしその後の関係悪化によって、1992年にカーボベルデは国旗を一新、現在のデザインにしました。
カーボベルデの国名について
ポルトガル語の「cabo(岬)」と「verde(緑)」から。「カーボベルデ(緑の岬)」で言い換えれば「ベルデ岬」となる。ところが、実際のベルデ岬はアフリカ大陸のもっとも西のセネガル共和国にある。まぎらわしいことに、実際はカーボベルデはベルデ岬の西の大西洋の上の島国、つまりよその国の土地名となる。
カーボベルデの歴史
カーボベルデは、アフリカの北西沖に浮かぶ15の島からなる群島国家です。15世紀〜1975年まではポルトガル領だったため、いまでも文学や音楽ではポルトガルの影響を色濃く受けています。独立に際しては、アフリカ大陸部のギニアビサウと連邦を形成する計画がありましたが、1980年に起こったクーデターにより頓挫し現在に至っています。
- 15世紀、ポルトガル人が「発見」したといわれる
- その後、ポルトガル人の植民がはじまり、1587年にポルトガル領となる
- ヨーロッパとアメリカ大陸を結ぶ大西洋航路の中継地となり、サトウキビの栽培や奴隷貿易で栄えた
- 第二次世界大戦の1956年、ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)が結成され、独立運動が高まった
- 1963年、ポルトガルの海外州となり、1975年に共和国として独立を達成
- ギニアビサウとの統合を目指していたが、ギニアビサウで統合に反対するクーデターが起こり、断念
- 独立以来、単一の政党(PAIGC、のちにカーボベルデ独立アフリカ党 PAICV)が政権をになってきたが、1991年、複数政党制をみとめる初の総選挙がおこなわれた
カーボベルデの国データ
正式名称 | カーボベルデ共和国 |
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英語表記 | Republic of Cabo Verde |
漢字表記 | 辺瑠出角 |
首都 | プライア |
略号 | CPV |
面積 | 4033万㎢(滋賀県とほぼ同じ) |
人口 | 54万6000人 |
通貨 | カーボベルデ・エスクード |
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言語 | 英語、スワヒリ語、ルガンダ語 |
民族 | ポルトガル族、クレオール族 |
宗教 | キリスト教(カトリック) |
独立年 | 1975年にポルトガルから独立 |
国旗の比率 | 10:17 |
在留邦人数 | - |