南スーダン
国旗のデザインの由来と意味
南スーダンは、アフリカで一番新しい国です。2011年に住民投票によってスーダンから独立し、アフリカの54番目の国となりました。
国旗の黒は国民、白は平和、赤は自由のために流された血、緑は国土、青はナイル川の水をあらわします。旗竿側にある金色(黄)の星は「ベツレヘムの星」といい、国民の団結を象徴しています。
この6色は『旧約聖書』にある虹にちなんでいて、同じく6色の南アフリカの国旗🇿🇦と同様に「虹の旗(レインボーフラッグ)」と呼ばれています。
虹の色数は、グラデーションになっているため物理学的には無限とされていますが、欧米では6色とするのが一般的です。日本では、虹の色は7色とされていますよね。これは大正時代に広まった考え方で、ニュートンが『光学論』で「音楽のオクターブも7音。虹も7つの基本の色からできている。」としたことによるといわれています。
キリスト教の宗教的なシンボル、ベツレヘムの星とは?
「ベツレヘムの星(Star of Bethlehem)」は、東方三博士に救世主イエス・キリストの誕生を知らせたと伝えられる星で、キリスト教徒にとって象徴的なシンボルです。マタイによる福音書によれば、博士たちは、夜空にひときわ大きく輝く星の出現によって、ユダヤの王(イエス)がベツレヘムで誕生したことを知り、「東方」からエルサレムまで旅をしたとされてます。
イエスの生まれた場所の名前にちなんで「ベツレヘムの星」と名付けられました。
人を良い方向に導くということで、大きく輝く星が縁起が良いとされ、クリスマスツリーのてっぺんに飾るようになり、別名「クリスマスの星(Christmas Star)」とも呼ばれています。
ちなみに、このベツレヘムの星の正体については、ハレー彗星説、木星と土星の大接近説、そもそも創作だという説など諸説あるようです。また、東方バビロンからやってきたとされる三博士は、占星術師だったといわれています。
南スーダンの歴史
南スーダンは、もともと北部のスーダンよりも、ウガンダ北部に近い歴史・文化・宗教を持っています。アラブ系のイスラム教徒が多いスーダンに対して、南スーダンはキリスト教やアミニズム(生物・無機物を問わず全てのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方)を信仰する土着部族の多い地域。
2011年に南スーダンとして分離独立するまで、北部と南部の争いが長く続いていました。
1974年に南部で油田が発見されると、一時は南部の分離独立のための住民投票まで認めていたスーダン政府は、石油を独占するために再び頑なな政策をとりました。
その一つがイスラム法(シャリーヤ)の導入です。キリスト教徒の多い南部では再び反発が強まり、ジョン・ガランをリーダーとしたスーダン人民解放軍の主導のもと、第二次スーダン内戦が発生。長く続いたこの内戦で、250万人ともいわれる南部の住民が犠牲になりました。
2005年の南北和平交渉の成立後、2011年の住民投票では圧倒的な支持で分離独立が決まり、ついに同年7月9日、南スーダン共和国としてスーダンから分離独立を果たしました。
- 1877年、イギリスが南スーダンを占領し、1899年にイギリスとエジプトによる共同統治領となる。
- 第二次世界大戦後の1947年、南北スーダンが合併するが、アラブ系のイスラム教徒が多い北部と、アフリカ系のキリスト教徒や伝統的宗教を信仰する者が多い南部は対立していた。
- 1956年、共和国として独立するが、前年の1955年に南部で反乱が起こり、内戦に突入(第一次スーダン内乱)。
- 1972年に内戦は終わるが、1983年にイスラム法が取り入れられると、南部でゲリラ活動が激しくなり、再び内戦になる(第二次スーダン内乱)。
- 2005年に南北の和平が成立し、2011年に南部は南スーダン共和国として独立。
- スーダンとの国境紛争などがやまず、また国内の諸勢力も対立し、政情は不安定である。
南スーダンの国データ
正式名称 | 南スーダン共和国 |
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英語表記 | The Republic of South Sudan |
漢字表記 | 南蘇丹 |
首都 | ジュバ |
略号 | SSD |
面積 | 64万㎢(日本の約1.7倍) |
人口 | 1258万人 |
通貨 | 南スーダン・ポンド |
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言語 | 英語、アラビア語、各部族語 |
民族 | ティンカ族、シルク族、ヌエル族、他多数 |
宗教 | キリスト教、イスラム教、伝統宗教 |
独立年 | 2011年にスーダン共和国から独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 1505人 |