サントメ・プリンシペ
国旗のデザインの由来と意味
サントメ・プリンシペの国旗にも、汎アフリカ色が使われています。
この国はかつてはポルトガルの領土でしたが、1960年代から独立運動が盛んになり、1975年に独立を果たしました。独立闘争のときには、すでに独立していた周辺諸国の支援を特に多く受けたため、汎アフリカ色の国旗を制定することで、アフリカ諸国との連帯意識を強くあらわしました。
赤は独立闘争で流された血を、緑は農業を、黄色は主力産業のカカオと太陽をあらわし、2つの黒い星は、この国の主要な島であるサントメ島とプリンシペ島、そしてアフリカの自由をあらわしています。
1972年から「サントメ・プリンシペ解放運動(MLSTO)」で使われていた党旗が国旗の原型となりました。また黒い星は、ガーナの国旗🇬🇭の影響を受けているといわれています。
国章は、カラハリ砂漠の砂をあらわす白い盾型紋章。工業をあらわす3つの歯車、川をあらわす3本の青い波線、牧畜をあらわす牛の頭、盾の左右には象牙とモロコシを掲げた2頭のシマウマで構成されています。下のリボンに記されているのが、「PULA(雨、雨よ降れ)」。
また、ボツワナ国旗の白と黒の線には、国章に描かれているシマウマの模様もあらわされているともいわれています。
サントメ・プリンシペの国名について
「サントメ」は、ポルトガル人のエスコバルが、7月3日の「聖トマス(聖トーメ)の日」にこの島を発見したことに由来する。「プリンシペ(王子)」はポルトガルの基礎を築いたエンリケ航海王子に敬意をあらわし名付けられた。
サントメ・プリンシペの歴史(略史)
- 狩猟採集のサン人(ブッシュマン)が住んでいたこの地に、17世紀頃、ツワナ人が住み着き、18世紀にツワナ首長国を建てた。
- 1835年、南からオランダ系移民のブール人が侵入してくると、ツワナ王のカーマ3世はイギリスに保護を求め、1885年にイギリスの保護領ベチュアナランドとなる。
- 1910年には南アフリカ駐在のイギリス高等弁務官(特命全権大使)の管轄のもとに入る。
- 第二次世界大戦後の1962年、カーマ3世の孫のセレツォ・カーマがベチュアナランド民主党(のちのボツワナ民主党)を結成して独立運動を進め、1966年にイギリス連邦内のボツワナ共和国として独立。カーマが初代大統領に就き、複数政党制のもとで政権を握る。
- 多数派の黒人と少数派の白人との融和を進め、政情は安定している。
サントメ・プリンシペの国データ
正式名称 | サントメ・プリンシペ民主共和国 |
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英語表記 | Democratic Republic of Sao Tome and Principe |
漢字表記 | 聖登米不林刺部 |
首都 | サントメ |
略号 | STP |
面積 | 1001万㎢(東京都の約半分) |
人口 | 21万人 |
通貨 | ドブラ |
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言語 | ポルトガル語 |
民族 | バントゥー系およびポルトガル人との混血 |
宗教 | キリスト教 |
独立年 | 1975年にポルトガルから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | - |