モザンビーク


国旗のデザインの由来と意味


は独立闘争で流された血を、は国民とアフリカ大陸を、黄色は豊かな鉱物資源を、は平和をあらわします。
赤い三角形の中心にある紋章には、五角星AK-47銃(くわ)書物が描かれ、それぞれ社会主義の連帯、兵士、農民、知識階級をあらわしています。

この国旗は、ポルトガルからの独立を導いた「モザンビーク解放戦線(FRELIMO)」の旗をもとにデザインされました。社会主義色の濃い国旗ですが、FRELIMOは1989年に社会主義を放棄したため、今後、この国旗が改訂される可能性は高いといわれています。

モザンビーク国内ではすでに、銃、鍬、書物を取り除いた旗が使われることが多くなっているのだとか。

ちなみにAK-47銃はこの国旗にあるような形の、世界で最も多く使われている銃です。1947年、ドイツから連れ出した銃の専門家の助言を受け、ソ連のミハイル・カラシニコフ中尉が発明しました。

モザンビークの独立当初の旗

1975年にポルトガルから「モザンビーク人民共和国」として独立した当初は、今とは違う国旗を使っていました。


モザンビーク旧国旗(1975-83)

旗竿側の上角を頂点に、4色の三角形を放射状に広げたユニークなデザインの旗。カントン部分に、農民をあらわす鍬、工場労働者をあらわす歯車、兵士をあらわす銃が重なった紋章が置かれていました。

旧国旗では、「モザンビーク解放戦線(FRELIMO)」の旗の配色だけを踏襲していましたが、1985年に国旗改訂が行われ、FRELIMOの党旗そのものを国旗に取り入れました。


モザンビーク解放戦線(FRELIMO)の旗(1962-93)


モザンビークの国名について

国名は、北東部にある港町モザンビークが拡大使用されたもの。現地語のバントゥー語で「停泊地」を意味する。


モザンビークの歴史


  • 15世紀頃、ショナ人のモノモタパ王国が海岸地方を支配していた。
  • 1498年、ポルトガルの航海者バスコ・ダ・ガマが来航。ポルトガルが進出し、1629年に支配権を得て、奴隷貿易が行われる。
  • 第二次世界大戦後の1952年に、独立を求めるモザンビーク解放戦線が結成されて、1964年から武装闘争を始め、1975年にモザンビーク人民共和国として独立を果たした。
  • 一党制による社会主義路線を進めるが、反政府勢力との間で内戦に。1990年、複数政党制を取り入れた新憲法が成立。国名をモザンビーク共和国とした。1992年、和平が成立。

モザンビークの国データ



正式名称 モザンビーク共和国
英語表記 Republic of Mozambique
漢字表記 莫三鼻給
首都 マプト
略号 MOZ
面積 79万9000㎢(日本の約2倍)
人口 2949万人


通貨 メティカル
言語 ポルトガル語
民族 マクア・ロムウェ族など43部族
宗教 キリスト教、イスラム教、伝統宗教
独立年 1975年にポルトガルから独立
国旗の比率 2:3
在留邦人数
195人

Information


モザンビーク国旗

MOZAMBIQUE
(3:5)


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