赤道ギニア
国旗のデザインの由来と意味
緑は農業、白は平和、赤は独立闘争で流された血、青は海(大西洋)をあらわします。
中央の国章に描かれているのは、この国で神木とされているパンヤの木。19世紀、当時のボンコロ王が、この木の下でスペイン王に忠誠を誓った(保護条約に署名した)という故事に由来しています。木の上の6つの星は大陸部と5つの島をあらわし、下のリボンにはスペイン語で「Unidad Paz Justicia(統一、平和、正義)」と書かれています。
世界の国旗には、政変で廃止された国旗が復活するケースが時々あります。赤道ギニアのこの国旗も、そんなケースのうちのひとつ。
もともとは、1968年にスペインから独立したときに制定された国旗です。その後、初代大統領に就任し恐怖政治を行ったマシアス・ンゲマが、1973年に新憲法を採択し、独裁体制を固めました。これ以降1979年までの間、国旗の中央の紋章は、鶏(ニワトリ)のデザインになりました。
当時の国章のニワトリは、1972年に終身大統領となったマシアス・ンゲマが率いる政党「労働国民統一党」のシンボルでした。
しかし、1979年にンゲマ大統領の甥にあたるテオドロ・オビアン・ンゲマ(ンバゾゴ中佐)がクーデターを敢行し、同時に国旗のデザインも独立当時のものに戻して現在にいたっています。
クーデターを敢行したテオドロ・オビアン・ンゲマは、1982年に大統領に就任。現在6期目となり、君主制以外では世界最長の政権となっています。
国章は、カラハリ砂漠の砂をあらわす白い盾型紋章。工業をあらわす3つの歯車、川をあらわす3本の青い波線、牧畜をあらわす牛の頭、盾の左右には象牙とモロコシを掲げた2頭のシマウマで構成されています。下のリボンに記されているのが、「PULA(雨、雨よ降れ)」。
また、ボツワナ国旗の白と黒の線には、国章に描かれているシマウマの模様もあらわされているともいわれています。
赤道ギニアの国名について
ギニア湾にある主島のビオコ島が赤道付近にあることから名付けられた。「ギニア」はベルベル人の言葉で「黒い人」の意味。「赤道ギニア」というものの、国土自体は赤道上にはない。
赤道ギニアの歴史(略史)
- 狩猟採集のサン人(ブッシュマン)が住んでいたこの地に、17世紀頃、ツワナ人が住み着き、18世紀にツワナ首長国を建てた。
- 1835年、南からオランダ系移民のブール人が侵入してくると、ツワナ王のカーマ3世はイギリスに保護を求め、1885年にイギリスの保護領ベチュアナランドとなる。
- 1910年には南アフリカ駐在のイギリス高等弁務官(特命全権大使)の管轄のもとに入る。
- 第二次世界大戦後の1962年、カーマ3世の孫のセレツォ・カーマがベチュアナランド民主党(のちのボツワナ民主党)を結成して独立運動を進め、1966年にイギリス連邦内のボツワナ共和国として独立。カーマが初代大統領に就き、複数政党制のもとで政権を握る。
- 多数派の黒人と少数派の白人との融和を進め、政情は安定している。
赤道ギニアの国データ
正式名称 | 赤道ギニア共和国 |
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英語表記 | Republic of Equatorial Guinea |
漢字表記 | 赤道幾肉亜 |
首都 | マラボ |
略号 | GEQ |
面積 | 2万8051㎢(四国の約1.5倍) |
人口 | 131万人 |
通貨 | CFAフラン |
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言語 | スペイン語、フランス語、ポルトガル語、ファン語、ブビ語 |
民族 | ファン族、ブビ族、コンベ族、ベレンゲ族など |
宗教 | キリスト教、伝統宗教 |
独立年 | 1968年にスペインから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 11人 |