エジプト


国旗のデザインの意味と由来


12世紀に、十字軍からエルサレムを奪回した英雄サラディンをあらわす鷲(ワシ)「サラディンの鷲」が置かれた汎アラブ色の旗。

は革命の犠牲を、は未来の明るさを、は過去の外国支配をあらわします。または、は革命以前の王政時代を、は共和制になったときの無血革命を、はイギリス植民地時代をあらわすともいわれています。


エジプトの国章

国旗に描かれている鷲は金1色ですが、国章の鷲は少し違います。こちらの鷲は、胸に抱く盾に、国旗と同じ赤・白・黒の3色が使われています。ワシが掴んでいる板に記されているのは、アラブ語で「エジプト・アラブ共和国」。


イスラムの英雄サラディン


1187年の「ヒッティーンの戦い」の後のサラディン


サラディン(サラーフ・アッディーン)は12世紀から13世紀にかけてエジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配したスンナ派イスラーム王朝アイユーブ朝の創始者です。アラブと十字軍の50年以上にわたる覇権争いに終止符を打ち、十字軍から聖地エルサレムを奪回した「イスラーム世界の英雄」として知られている人物。エルサレムを守り抜きつつも、敵であるはずの捕虜の命も救ったことで、アラビア語史料や伝説に「アラブ騎士道の達人」「慈悲深い高潔な人物」と謳われ、アラブとヨーロッパの両方で称えられています。


エジプトの国名について

古王国の首都メンフィスの古代名「フゥト・カァ・プタハ(創造神プタハの居住地)」がギリシャ語で「アイギュプトス」となり、ラテン語を経て「エジプト」となった。


エジプトの歴史


世界4大文明発祥の地、エジプト。なぜ高度な文明が発達したのかというと、ナイル川があったからです。ナイル川には毎年定期的に洪水が起こり、上流からゆたかな栄養分を運んできたため、なんと紀元前5000年頃から農耕が始まりました。のちのギリシアの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルのたまもの」といいました。
エジプトに関する言葉では、18世紀末にエジプトに遠征したナポレオンが放ったとされる「兵士諸君、4000年の歴史が見下ろしている」という言葉も有名ですね。


  • 紀元前3000年頃古代王朝が成立し、その後は30もの王朝が興亡を繰り返す。
  • 紀元前332年、アレクサンドロス大王に征服され、その後プトレマイオス朝がひらかれる。
  • 紀元前30年、女王クレオパトラがローマと戦って敗れ、ローマの属州となる。
  • 7世紀からアラブ人が進出し、イスラム教が伝えられる。その後イスラム諸王朝が興亡を繰り返し、16世紀にオスマン帝国領となる。
  • 1798年、フランスのナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征をきっかけに、エジプトは近代国家形成の時代を迎える。フランス軍撤退後、混乱を収拾して権力を掌握したエジプト総督ムハンマド・アリーが王朝をひらき近代化を進めた。
  • 1882年、イギリスに占領されたが、1922年にエジプト王国として独立。
  • 第二次世界大戦の1952年、エジプト革命勃発。ナセルら自由将校団によるクーデターが起こり、1953年、エジプト共和国が成立。
  • 1958年、シリアと連合しアラブ連合共和国となる。(1961年解消)
  • 1967年の第3次中東戦争で、シナイ半島とガザ地区を失う。
  • 1971年、国名をエジプト・アラブ共和国に変更。
  • 1981年からムバラク大統領が長期政権を続けたが、2011年、民主化運動が高まると辞任。イスラム勢力とリベラルの世俗勢力が対立し、政情は不安定になる。

エジプトの国データ



正式名称 エジプト・アラブ共和国
英語表記 Arab Republic of Egypt
漢字表記 埃及(略旗:埃)
首都 カンパラ
略号 EGY
面積 100万㎢(日本の約2・7倍)
人口 9842万人


通貨 エジプト・ポンド、ピアストル
言語 アラビア語、英語
民族 アラブ人
宗教 イスラム教、キリスト教(コプト教)
独立年 1922年にイギリスから独立
国旗の比率 2:3
在留邦人数 963人

Information


エジプト国旗

EGYPT
(3:5)


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