エジプト
国旗のデザインの意味と由来
12世紀に、十字軍からエルサレムを奪回した英雄サラディンをあらわす鷲(ワシ)「サラディンの鷲」が置かれた汎アラブ色の旗。
赤は革命の犠牲を、白は未来の明るさを、黒は過去の外国支配をあらわします。または、赤は革命以前の王政時代を、白は共和制になったときの無血革命を、黒はイギリス植民地時代をあらわすともいわれています。
国旗に描かれている鷲は金1色ですが、国章の鷲は少し違います。こちらの鷲は、胸に抱く盾に、国旗と同じ赤・白・黒の3色が使われています。ワシが掴んでいる板に記されているのは、アラブ語で「エジプト・アラブ共和国」。
イスラムの英雄サラディン
サラディン(サラーフ・アッディーン)は12世紀から13世紀にかけてエジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配したスンナ派イスラーム王朝アイユーブ朝の創始者です。アラブと十字軍の50年以上にわたる覇権争いに終止符を打ち、十字軍から聖地エルサレムを奪回した「イスラーム世界の英雄」として知られている人物。エルサレムを守り抜きつつも、敵であるはずの捕虜の命も救ったことで、アラビア語史料や伝説に「アラブ騎士道の達人」「慈悲深い高潔な人物」と謳われ、アラブとヨーロッパの両方で称えられています。
エジプトの国名について
古王国の首都メンフィスの古代名「フゥト・カァ・プタハ(創造神プタハの居住地)」がギリシャ語で「アイギュプトス」となり、ラテン語を経て「エジプト」となった。
エジプトの歴史
世界4大文明発祥の地、エジプト。なぜ高度な文明が発達したのかというと、ナイル川があったからです。ナイル川には毎年定期的に洪水が起こり、上流からゆたかな栄養分を運んできたため、なんと紀元前5000年頃から農耕が始まりました。のちのギリシアの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルのたまもの」といいました。
エジプトに関する言葉では、18世紀末にエジプトに遠征したナポレオンが放ったとされる「兵士諸君、4000年の歴史が見下ろしている」という言葉も有名ですね。
- 紀元前3000年頃古代王朝が成立し、その後は30もの王朝が興亡を繰り返す。
- 紀元前332年、アレクサンドロス大王に征服され、その後プトレマイオス朝がひらかれる。
- 紀元前30年、女王クレオパトラがローマと戦って敗れ、ローマの属州となる。
- 7世紀からアラブ人が進出し、イスラム教が伝えられる。その後イスラム諸王朝が興亡を繰り返し、16世紀にオスマン帝国領となる。
- 1798年、フランスのナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征をきっかけに、エジプトは近代国家形成の時代を迎える。フランス軍撤退後、混乱を収拾して権力を掌握したエジプト総督ムハンマド・アリーが王朝をひらき近代化を進めた。
- 1882年、イギリスに占領されたが、1922年にエジプト王国として独立。
- 第二次世界大戦の1952年、エジプト革命勃発。ナセルら自由将校団によるクーデターが起こり、1953年、エジプト共和国が成立。
- 1958年、シリアと連合しアラブ連合共和国となる。(1961年解消)
- 1967年の第3次中東戦争で、シナイ半島とガザ地区を失う。
- 1971年、国名をエジプト・アラブ共和国に変更。
- 1981年からムバラク大統領が長期政権を続けたが、2011年、民主化運動が高まると辞任。イスラム勢力とリベラルの世俗勢力が対立し、政情は不安定になる。
エジプトの国データ
正式名称 | エジプト・アラブ共和国 |
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英語表記 | Arab Republic of Egypt |
漢字表記 | 埃及(略旗:埃) |
首都 | カンパラ |
略号 | EGY |
面積 | 100万㎢(日本の約2・7倍) |
人口 | 9842万人 |
通貨 | エジプト・ポンド、ピアストル |
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言語 | アラビア語、英語 |
民族 | アラブ人 |
宗教 | イスラム教、キリスト教(コプト教) |
独立年 | 1922年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 963人 |