トルクメニスタン
国旗のデザインの由来と意味
複雑さでは世界一といわれることもある、トルクメニスタンの国旗。緑色と、三日月と星のシンボルはどちらもイスラム教を象徴しています。また5つの星は5つの州(アハル、バルカン、ダジョグズ、マル)をあらわします。
旗竿側に描かれているのは、伝統的産業で暗赤(あんせき)の基調色を持つ、「ギュル」(またはグル。日本の家紋のようなもの)と呼ばれる絨毯模様。5つのギュルはそれぞれ主要な部族(テケ族、ヨムド族、サロル族、ギョクレン族、ルサル族)を象徴する紋様です。
この国は、1881年以来ロシアの支配下にあり、1917年のロシア革命を経てソ連に組み込まれましたが、1991年のソ連邦崩壊によって独立しました。旧ソ連邦時代は、赤旗に2本の青い帯が入った旗に鎌と槌が描かれた社会主義色の濃い旗を使っていましたが、独立の翌年、新たな国旗が制定されました。
トルクメン・ソビエト社会主義共和国の国旗(1953-91)
独立後は、1995年の国連総会でトルクメニスタンの永久中立が承認されたことを記念して、1997年にはギュル紋様の下にオリーブの枝を組み合わせたリースが付け加えられました。さらに2001年には旗の比率を1:2から現在の2:3とし、絨毯部分の色彩とデザインの一部も変更されました。
トルクメニスタンの国章
八芒星(八角形)の緑の紋章。このように2つの正方形が重なり合った八芒星はルブ・エル・ヒズブと呼ばれ、イスラムの伝統的なシンボルのひとつ。
※イスラム圏の国の旗や国章にもしばしば採用されていて、またイスラムの書道(カリグラフィー)では章の終わりを示すシンボルとして使われます。
国章の中央には世界的に有名なトルクメニスタン名馬と、国旗にもある5つのギュルが描かれ、主要産業の小麦の穂と綿花の枝のリースが周りを囲んでいます。
トルクメニスタンの国名について
この地に住むトルコ系遊牧民トルクメン人の名と、ペルシャ語の地名接尾語「-stan」で「トルクメン人の国」の意味。
トルクメニスタンの地理と歴史(略史)
トルクメニスタンは、中央アジアの南西部、西側はカスピ海に面した内陸国で、国土の約90%をカラコルム砂漠が占めています。
旧ソビエト連邦時代にはトルクメンと呼ばれましたが、1991年のソ連邦崩壊によって新国家として発足しました。世界有数の埋蔵量を誇る石油などのエネルギー資源が主産業で、旧ソビエト連邦の中では経済面で最も恵まれた国といわれています。
ウズベキスタン🇺🇿、カザフスタン🇰🇿、タジキスタン🇹🇯、キルギス🇰🇬と合わせて、中央アジア5ヵ国と呼ばれますが、トルクメニスタンは超鎖国国家で謎めいていて、外国人が容易に入って自由にふるまえる国ではありません。
初代大統領ニヤゾフの独裁のもと、大統領を神格化して建造物には肖像画を掲げ、金箔性の銅像を建立するなど個人崇拝のカルト国家を築きましたが、2006年の末に同大統領が急死。2021年現在のベルディムハメドフ大統領は、ニヤゾフ大統領の後継者として独裁体制を受け継ぐ一方、禁止されていたインターネットや映画などの娯楽を解禁。廃止されていた外国語や体育の授業も復活させました。
- 8世紀頃に中央アジアから移り住んだ民族がイスラム教を受け入れ、9世紀以降、サーマーン朝やセルジューク朝の支配下に入る。
- 16世紀以降はイラン系の王朝に支配されるが、その後1885年までロシア帝国に併合される。1924年、トルクメン・ソビエト社会主義共和国となる。
- 1991年のソ連崩壊と同時に独立し、翌年、国連に加盟する。1995年に永久中立国として国連総会に認められる。
- 独立前から大統領についていたニヤゾフが1999年に終身大統領となるが、2006年にニヤゾフが死去したのち、開放政策がとられ、ロシアや周辺諸国との関係の改善もはかられている。
トルクメニスタンの国データ
正式名称 | トルクメニスタン |
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英語表記 | Turkmenistan |
漢字表記 | 土耳古斯坦 |
首都 | アシガバート |
略号 | TKM(IOC/IPC) |
面積 | 48万8000㎢(日本の約1.3倍) |
人口 | 590万人 |
通貨 | マナト |
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言語 | トルクメン語、ロシア語 |
民族 | トルクメン系、ウズベク系、ロシア系、カザフ系、その他タタール系など |
宗教 | イスラム教(スンニ派など) |
独立年 | 1991年にソ連邦から独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 71人 |