アルゼンチン


国旗のデザインの由来



アルゼンチンの国旗は「五月の太陽」と呼ばれている紋章を中央に置いた、水色水色の旗です。水色と白は、独立前の1806年、イギリス軍を撃退したときに義勇軍が付けていた花型帽章の色といわれています。

水色は海と大空、真実、正義、友情を。はラプラタ川と国民の純潔さをあらわします。「五月の太陽」は、1810年5月、スペインからの独立をかけた戦いの日に輝いていた太陽で、独立の象徴となりました。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでは、その日まで長く雨が降り続いていましたが、この日は久しぶりにカラリとした晴天でした。空にあらわれた太陽を見て、兵士達は勝利を確信したといいます。

またこの「五月の太陽」はインカ帝国の太陽神インティの象徴でもあります。太陽の顔は、当時の8エスクード金貨に描かれていたデザインがもとになっています。


アルゼンチンの国名について

ラテン語でを意味する「アルゲントゥム」が語源で、アルゼンチンは英語読み。16世紀、大陸を南下する大河がラプラタ川(スペイン語で銀の川と命名されたことに由来する。
独立当初はスペイン語で「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」としていたが、スペインによる圧政を忘れるため同じ意味のラテン語に変更された。


アルゼンチンの国旗の歴史


アルゼンチンは、南アメリカでブラジルの次に大きな国です。1516年にスペインの探検家ファン・ディアス・ソリスが最初のヨーロッパ人として渡来し、スペインの植民地となりました。

19世紀のはじめ、アルゼンチンのクリオーリョ(現地生まれのスペイン人)たちは、スペイン本国の植民地政策に不満を抱えていました。そんな中、イギリスの二度にわたる侵攻を撃退したことで独立の機運が急激に高まりました。

1810年にナポレオンがスペインに攻め込むと、アルゼンチン五月革命が起こります。クリオーリョたちはスペインの副王(君主の代理人として植民地を統治する官職・称号)を辞職させ、新政府を作りました。この五月革命がアルゼンチン独立戦争の皮切りとなり、またアルゼンチンだけでなく、他のラテンアメリカ諸国独立の出発点のひとつにもなりました。

1816年に独立を宣言し、「リオ・デ・ラ・プラタ連合州」が成立。この独立戦争で活躍したのが、革命軍を指揮したマヌエル・ベルグラーノ将軍と、スペインから参戦したサン・マルティン将軍。二人ともラテンアメリカ解放の英雄として知られている人物です。

国旗を考えたのはマヌエル・ベルグラーノ将軍。彼は、1812年にロサリオでスペイン軍と戦った後、両軍の旗が同じ色(スペインの血と金の旗)であることに気付きました。そして戦いの後、過去にイギリス軍を撃退したときに義勇軍が付けていた花型帽章(帽子に付けるブローチのようなもの)の色と同じ、水色と白の旗を作りました。最初は横二分割の旗でした。


マヌエル・ベルグラーノ将軍が作った初期の旗


当初この旗は政府に受け入れられませんでしたが、後に戦争旗として認められました。1816年7月9日の独立宣言の後、正式に国旗として採用されたときには横三分割の旗になっています。


リオ・デ・ラ・プラタ連合州の旗(1816-1818)


1818年には、旗の中央に太陽の画像が追加され今の形になりましたが、一時期には下の画像のように濃い青の旗も使われていました。



アルゼンチンの国旗はウルグアイ🇺🇾、パラグアイ🇵🇾の旗にも影響を与えました。
1823年から1839年まで中央アメリカに存在した国家「中央アメリカ連邦共和国」の旗のモデルにもなり、連合解散後に独立した5カ国、グアテマラ🇬🇹、ホンジュラス🇭🇳、エルサルバドル🇸🇻、ニカラグア🇳🇮、コスタリカ🇨🇷の国旗には今でもその名残があります。

ベルグラーノ将軍が作った水色(青)・白・水色(青)の配色。なんとラテンアメリカの3分の1以上をその色で染めたのです。


1812年5月25日 ベルグラーノ将軍が作った旗を司祭が祝福している様子を描いた絵画


アルゼンチンでは、ベルグラーノ将軍が亡くなった6月20日を「国旗の日」として祝日に定めています。


アルゼンチンの国データ


正式名称 アルゼンチン共和国
英語表記 Argentine Republic
漢字表記 亜爾然丁(略記:爾)
首都 ブエノスアイレス
略号 ARG
面積 278万㎢(日本の約7.5倍)
人口 4449万人

通貨 ペソ
言語 スペイン語
民族 欧州系(スペイン、イタリア)、先住民族
宗教 キリスト教(カトリック)他
独立年 1816年(スペインから独立)
国旗の比率 1:2
在留邦人数 1万1561人

Information


アルゼンチン国旗(3:5)


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