コモロ
国旗のデザインの由来と意味
三角の緑は、イスラム教では神聖な色。また三日月と星もイスラム教を象徴するシンボルです。
黄色は太陽と進歩を、白は自由と純粋さを、赤はフランスからの独立闘争で流された血を、青はインド洋をあらわします。この4色は同時に、4つの小さな星が象徴する4つの島もあらわしていて、ムワリ島(黄色)、マイヨット島(白)、アンジュアン島(赤)、グラン・コモロ島(青)というようにそれぞれの島が持つ旗の色が割り当てられています。
しかし、白であらわされたマイヨット島は現在もフランス領のままです。コモロは、1975年にフランスから独立しましたが、カトリック教徒が多くフランスへの帰属意識が高いマイヨットの島民は、住民投票でフランス領への残留を決めました。
コモロの現在の国旗🇰🇲は2001年に改定されたデザインで、1975年に独立して以来6回目の変更となりました。26年の中で6度もの国旗変更は、1989年以降の大統領暗殺事件やクーデター、2島の分離など、この国で不安定な政情が続いたことを物語っています。
国章は、カラハリ砂漠の砂をあらわす白い盾型紋章。工業をあらわす3つの歯車、川をあらわす3本の青い波線、牧畜をあらわす牛の頭、盾の左右には象牙とモロコシを掲げた2頭のシマウマで構成されています。下のリボンに記されているのが、「PULA(雨、雨よ降れ)」。
また、ボツワナ国旗の白と黒の線には、国章に描かれているシマウマの模様もあらわされているともいわれています。
コモロの国名について
この島を発見したアラブ人が、古代ギリシャで伝説の地とされていた「オレ・セレナイエ(月の山)」だと勘違いし、「エル・コムル(月の山)」と名付けたことに由来
コモロの歴史(略史)
コモロは、ケニア・タンザニアのインド洋岸地域やモザンビーク北部と同じくスワヒリ文化圏に属し、イスラム教の影響を強く受けているため、イスラム教徒はほとんどで、島内には多くのモスクが建っています。(コモロ入力中)
- 狩猟採集のサン人(ブッシュマン)が住んでいたこの地に、17世紀頃、ツワナ人が住み着き、18世紀にツワナ首長国を建てた。
- 1835年、南からオランダ系移民のブール人が侵入してくると、ツワナ王のカーマ3世はイギリスに保護を求め、1885年にイギリスの保護領ベチュアナランドとなる。
- 1910年には南アフリカ駐在のイギリス高等弁務官(特命全権大使)の管轄のもとに入る。
- 第二次世界大戦後の1962年、カーマ3世の孫のセレツォ・カーマがベチュアナランド民主党(のちのボツワナ民主党)を結成して独立運動を進め、1966年にイギリス連邦内のボツワナ共和国として独立。カーマが初代大統領に就き、複数政党制のもとで政権を握る。
- 多数派の黒人と少数派の白人との融和を進め、政情は安定している。
コモロの国データ
正式名称 | コモロ連合 |
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英語表記 | Union of Comoros |
漢字表記 | 科摩羅 |
首都 | モロニ |
略号 | COM |
面積 | 2236㎢(東京都とほぼ同じ) |
人口 | 83万2000人 |
通貨 | コモロ・フラン |
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言語 | フランス語、アラビア語、コモロ語 |
民族 | バントゥ系黒人を主流に、アラブ系、マダガスカル系、インド系など |
宗教 | イスラム教、キリスト教 |
独立年 | 1975年にフランスから独立 |
国旗の比率 | 3:5 |
在留邦人数 | 3人 |