ラオス
国旗のデザインの由来と意味
赤は自由と、独立闘争や社会主義革命で流された血を、青は国の繁栄とメコン川を、白は平和と仏教をあらわし、中央の白い円は、メコン川に浮かぶ満月をあらわします。
この国旗は、共産主義勢力の「ラオス愛国戦線(パテト・ラオ)」が独立前から採用し始めたもので、1975年に政権を勝ち取って国旗となりました。
第二次世界大戦後にフランスから独立してから1975年までのラオス王国では、古くから神聖視されている白象を使ったデザインの旗を使っていました。
この旗は、14世紀にラオス初の統一王朝となったランサーン王国の伝説がデザインされたものだといいます。その伝説によると、国祖ファーグム国王は、白象にまたがり白い日傘をさしてあらわれたとされているのです。ちなみに「ランサーン」も「百万頭の象」という意味。
7段の日傘は仏教の7徳、下の5段の階段は、仏教の5戒律をそれぞれあらわしています。
ランサーン王国では仏教が国教とされていましたが、ラオス人民民主共和国成立後は、仏教は特別な保護を受けなくなりました。しかし住民の多くは、タイと同様に敬虔な上座部仏教徒で、ラオスでは「男性は一生のうちに1回は出家をしなければならない(した方が良い)」と言われるほど、出家が当たり前の慣習となっています。
その他、山岳地域の少数民族の多くは、アニミズム(精霊信仰)を信仰していて、仏教とアニミズムが混同されて信仰されていたり、またラオス南部ではキリスト教も信仰されています。
ラオスの国章
ラオスの国章には、国のシンボルでもありラオス仏教界最高峰の寺院、タートルアンが描かれています。伝説の域を出ませんが、釈迦の胸骨を納めるために、インドから派遣された僧侶によって建てられたという説があります。国章にあるのは、なんと45mもある黄金の仏塔。
他に、ナムグムダムと水力発電所、道路、米畑、森林、日の出と歯車、稲穂のリースが描かれ、下のリボン中央には、ラオス文字ラオ語で国名が記されています。左側には「平和、独立、民主主義」、右側には「統一、反映」という標語。この社会主義国型の紋章は1991年から使われています。
ラオスの国名について
ラオスは「ラオ族」を意味し、国名は、国民の大多数がラオ族であることに由来している。「ラオ」は古代タイ語で「人間」を意味する。独立は1953年だが、現在の国名になったのは1975年。
ラオスの歴史(略史)
14世紀半ばにできた、最初の統一国家ランサーン王国の王都ルアンパバーンは今、ユネスコの世界遺産に登録されています。16世紀には首都がビエンチャンとなり、その後、タイ(シャム)の支配を経て、1899年にフランスの勢力下に入りました。
第二次世界大戦中には日本軍が侵攻し、その支持によって独立を宣言しましたが、日本の敗戦後、抵抗むなしくフランスの支配が復活。1953年にフランス連合内で王国として独立します。
この、フランスから与えられた形式的な独立に満足せず、真の独立をもとめて王政に反対したのが「自由ラオス(ラオ・イッサラ)」で、現在の国旗を採用した共産主義勢力「ラオス愛国戦線(パテト・ラオ)」の前身です。
ラオス人民民主共和国ができた1975年末、世界は冷戦のさなかにあり、当時崩壊しかけていた東側陣営に最後に加わった国がラオスでした。
しかしラオスの社会主義革命は、ほとんど無血で行われたため「静かな革命」と呼ばれています。
王政を廃止したものの、なんと国王を共産政権の大統領顧問として受け入れ、中立派の人物を政府顧問とし、結局王族一門が許しあって四男が初代大統領として政権を担ったのです。社会主義国では宗教は否定されていたため、当初は仏教も排除しようとしましたが、国民の生活の一部となっている仏教を捨てることができず、結局宗教も受け入れました。
現在も、ラオス人民革命党の主導による社会主義政権ですが、1986年より「チンタナカーン・マイ経済政策」に移行し、市場経済システムを導入しています。
- 14世紀半ばにランサーン王国がおこり勢力を伸ばすが、18世紀に3つの国に分裂する。
- 19世紀末にタイの侵攻を受け、その後はフランスの保護国となり、1899年にフランス領インドシナに編入される。
- 第二次世界大戦末期の1945年、日本がフランスからこの地を奪うが、戦後、臨時政府の樹立をはさんでフランス支配が復活。
- 1949年にフランス連合内の王国として独立し、1953年に完全独立を達成。1955年、国際連合に加盟。この間、国内で共産主義革命勢力のパテト・ラオとラオス王国政府の間で内戦が起こり、アメリカ軍が介入する。1973年に和平協定が成立し、1975年に人民民主共和国が成立。1991年に新憲法が制定され、社会主義を継続することが定められた。
ラオスの国データ
正式名称 | ラオス人民民主共和国 |
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英語表記 | Lao People's Democratic Republic |
漢字表記 | 羅宇(略記:老) |
首都 | ビエンチャン |
略号 | LAO |
面積 | 24万㎢(日本の約60%) |
人口 | 649万人 |
通貨 | キープ |
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言語 | ラオス語 |
民族 | ラオ族(全人口の約半数以上)を含む計49民族 |
宗教 | 仏教 |
独立年 | 1953年にフランスから完全に独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 863人 |