オーストリア


国旗のデザインの意味と由来


赤・白・赤の横三分割旗。この国旗は、デンマークの国旗🇩🇰やスコットランドの旗🏴󠁧󠁢󠁳󠁣󠁴󠁿などとともに、現在まで使用されている世界最古の国旗のひとつとされています。

12世紀初頭、第3回十字軍に遠征していたオーストリア公レオポルド5世は、敵の返り血を浴びて全身が赤く染まりました。しかし彼がベルトを外したとき、下の布は汚れていないままで、赤・白・赤の組み合わせがあらわれました。

この軍服を旗の代わりに使ったことが国旗の由来となったと伝えられています。


戦いの後、ヘンリー6世(神聖ローマ皇帝)から赤・白・赤の旗を受け取るレオポルド5世


民用旗ではシンプルな横三分割旗が使われますが、正式な政府旗では中央に国章の黒鷲が描かれたものが使われます。


オーストリアの政府用旗、軍旗

国章の原型はハプスブルク家の紋章で、もともとは双頭の(ワシ)でしたが、ハプスブルク家崩壊後に単頭の鷲になりました。


オーストリアの国章


黄色い城塞冠(じょうさいかん。城壁のような形をした冠)を被った鷲が、国旗をデザインした盾を抱いています。断ち切られた鎖のついた足が掴んでいるのは黄色い鎌とハンマー。
頭上の冠は自治都市、鎌とハンマーは工業労働者と農民をあらわし、足の断ち切られた鎖はナチス・ドイツからの解放をあらわします。


オーストリアの国名について

国名は、東の国を意味する旧地方名「オストマルク」がラテン語化したもの。8世紀末、この地を領土としたフランク王国のカール大帝が命名した「オストマルク(東の辺境地)」が由来となった。


オーストリアの国旗の歴史とハプスブルク家


オーストリアは、今では中部ヨーロッパの小国ですが、その起源は長い歴史を遡ります。

この地域はかつて、ローマ帝国に支配されていました。ローマ帝国の衰退後、8世紀末には、フランク王国のカール大帝が征服してキリスト教が広まります。

西ローマ帝国を継承し、現在のドイツを中心とした国は、のちに神聖ローマ帝国と呼ばれました。


(962-1156)

神聖ローマ帝国の国旗


オーストリア公国、オーストリア大公国の国旗


12世紀、ハインリヒ2世が神聖ローマ皇帝からオーストリアの地を与えられ、オーストリア公国が成立。1273年には、ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国皇帝に選ばれ、オーストリアを領土に加えました。


オーストリア公国の国旗(1156-1804)


ハプスブルク家はこの後、中世ヨーロッパの名門と、巧みな婚姻政策を行うことで領地を広げ、日の沈むことのない世界帝国を築き上げていきました。

16世紀前半、カール5世のときにはスペインの王も兼ね、領土は最大に。ハプスブルク家が皇帝位を独占して「ハプスブルク帝国」といわれるほどの全盛期を迎えます。
カール5世の死後、ハプスブルク家はスペイン系とオーストリア系に分裂し、神聖ローマ皇帝位は、オーストリア系ハプスブルク家が世襲することになりました。

そして18世紀半ば、ハプスブルク家を継いだマリア・テレジアが、夫のフランツ1世を神聖ローマ皇帝につけ、自らはオーストリア大公として君臨します。


『マリア・テレジアとその家族』マルティン・ファン・メイテンス(1754)

ナポレオン戦争のさなかの1806年、神聖ローマ帝国は消滅しましたが、ハプスブルク家のフランツ2世はオーストリアの皇帝の座にとどまり、オーストリア帝国が成立します。


オーストリア帝国の国旗


オーストリア帝国の国旗(1804-67)

オーストリア帝国では、ハプスブルク家の色である黒・黄色の横二色旗が国旗に制定されました。


1866年、プロイセンとの戦争(普墺戦争)に敗れた後、諸民族の独立運動の機運が高まってくるとともに、多民族国家だったオーストリア帝国の国力は衰退していきます。

翌年、ハンガリーの独立運動をなんとか懐柔しようと、ハンガリーの形式的な独立を認め、オーストリア・ハンガリー帝国が誕生。
しかし、オーストリア皇帝のもと、二国がそれぞれ別な政府と国会を持つという体制で、実質的には「ハプスブルク帝国」のままでした。


オーストリア・ハンガリー帝国の国旗


オーストリア・ハンガリー帝国の国旗(1867-1918)

オーストリア・ハンガリー帝国では、紋章を描いたオーストリア国旗とハンガリー国旗を組み合わせたデザインの国旗が使われました。


1914年6月28日、サラエボでオーストリア皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺されたことが引き金となり、第一次世界大戦が勃発。

大戦後、650年間もの間中欧に君臨したハプスブルク家の帝国はもろくも崩壊し、オーストリア共和国(のちにオーストリア連邦国)が成立しました。


オーストリア共和国の国旗(1919-34)


オーストリア連邦国の国旗(1934-38)


どちらも現在の正式な旗と似ていますが、どちらも鷲の足に鎖がついていません。またオーストリア連邦の国旗では、単頭鷲ではなく双頭の鷲が使われています。
この双頭鷲の国旗は、1938年、ナチス・ドイツに併合されるまで使われました。

第二次世界大戦後の1945年、国章の鷲の足に、ナチス・ドイツからの解放をあらわす鎖が加えられ、オーストリア公国時代の国旗が復活。1955年には戦勝国の分割占領から独立し、永久中立国を宣言しました。


オーストリアの歴史(略史)


  • 1世紀頃にローマ帝国に支配される。
  • 8世紀末、フランク王国のカール大帝が征服し、キリスト教が広まる。
  • 10世紀にオーストリア辺境伯の領とされ、12世紀にオーストリア大公の領、13世紀にスペインハプスブルク家の領となる。
  • 15世紀にハプスブルク家が神聖ローマ皇帝になって以来、帝位を子孫がほぼ受け継ぎ、16世紀にはスペイン、オランダ、イタリアに領土を広げた。
  • 19世紀後半にプロイセンとの普墺戦争に敗れた後、1867年にオーストリア・ハンガリー帝国を形成した。
  • 第一次世界大戦に敗れた後の1918年、帝国は解体し共和制に。
  • 1938年、ナチス・ドイツに併合されたが、第二次世界大戦後はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4国に分割占領された。
  • 1955年に独立して永久中立を宣言。1995年、EU(ヨーロッパ連合)に加盟する。

オーストリアの場所と国データ




正式名称 オーストリア共和国
英語表記 Republic of Austria
漢字表記 墺太利(略記:墺)
首都 ウィーン
略号 AUT
面積 8万4000㎢(北海道とほぼ同じ)
人口 約908万人


通貨 ユーロ
言語 ドイツ語
民族 オーストリア人
宗教 キリスト教(カトリック、プロテスタント)、イスラム教など
独立年 1955年に連合国軍による分割占領から独立
国旗の比率 2:3
在留邦人数 3024人

Information


オーストリア国旗

AUSTRIA
(3:5)


スポンサードリンク

関連記事

関連のある国旗