セルビア
国旗のデザインの由来と意味
東ヨーロッパのスラブ人共通の起源をあらわす、白・青・赤の汎スラブ色の横三色旗に、国章を配した国旗🇷🇸。赤は民族の血を、青は澄み渡る空を、白は光をあらわします。
国章に描かれているのは、19世紀半ばから第二次世界大戦前までセルビア王国(およびユーゴスラビア王国)の王家だった、カラジョルジェビッチ家の紋章と王家の冠。
双頭の鷲(ワシ)は、モンテネグロ🇲🇪やアルバニア🇦🇱の国旗とも共通していますが、もともとは、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のシンボルで、東洋と西洋の境界で両方を睨み支配するという意味があります。
この国旗が制定されたのは2006年。モンテネグロとの国家連合を解消して単独国家に戻ったときに、セルビア王国時代の国旗を復活させました。
政府庁舎などに掲揚される公式の旗には国章が入っていますが、一般的にはないものも多く使われています。その場合は、ロシアの国旗🇷🇺を逆さまにしたようになります。
セルビアの国章
盾の中には、白い双頭鷲が、白いセルビア十字を描いた盾を胸に抱き翼を広げています。双頭の鷲も東ローマ帝国から受け継いだシンボルですが、盾の中のキリル文字C(ローマ字のS)も、東ローマ帝国の紋章に使われた三日月の図案化といわれています。
鷲の両足元に置かれているのは、12世紀のネマニッチ朝セルビア王国時代から使われている黄色のユリの花。
セルビアの国名について
南スラブ系の民族・セルビア人がこの地に定住したことから、「スラブ人の土地」を意味する。
ユーゴスラビアの歴史と、優れた指導者チトー
ユーゴスラビアは、かつてバルカン半島に存在した、南スラブ人を中心に6つの国が合わさって成立した国家。セルビアも旧ユーゴスラビアを構成していた国のひとつで、実質的な代表国でした。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに占領されますが、他の東欧の国がソ連の力によってナチス軍を追い返したのに対して、ユーゴスラビアは自力でナチス軍を追い返しました。
この中心となったのが、パルチザン(人民解放軍)の総司令官として枢軸国への抵抗運動を指揮したヨシップ・ブロズ・チトーです。
戦後、ユーゴスラビアはチトーの判断によって社会主義国家となりました。
しかし、ユーゴスラビアは問題を抱えていました。
6つの国が合体して成立したユーゴスラビアは、国際的に「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」といわれるほど、多様な背景を持つ国の集まりで、それぞれとても仲が悪かったのです。
クロアチア人の父とスロベニア人の母を持ち、セルビアの政治家だったチトーは、6つの国のことをよくわかっていたため、上手にバランスを取りながら、バラバラの状態のユーゴスラビアを上手にまとめ上げ指導しました。
そんなユーゴスラビアでしたが、ソ連と対立し、コミンフォルムを除名されます。そしてアメリカのマーシャル・プランを受け入れますが、西側諸国に加わるということではなく、冷戦下で中立政策を維持。非同盟諸国(東西の冷戦期以降に、東西のいずれの陣営にも公式には加盟していない諸国、第三世界)のなかで中核的な役割を果たしました。
こうしてユーゴスラビアは独自に発展し、ヨーロッパの中でも大きな存在感のある国となりましたが、1980年、チトーが死亡します。
優れた政治力を発揮したチトーでしたが、後継者を育てることはできませんでした。
冷戦後はそれぞれの国の経済格差が広がり、民族間の不和と分断、暴力を伴った異民族排斥の流れが進み、各民族が独立を目指すユーゴスラビア紛争が起こりました。特に民族構成が複雑だったボスニアでは激しい内戦となります。
最終的にマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの4ヵ国が独立し、残ったセルビアとモンテネグロは連邦を維持し、1992年にユーゴスラビア連邦共和国を形成しましたが、2003年、より緩やかな国家連合であるセルビア・モンテネグロに移行した後、2006年にモンテネグロが独立を宣言したことから完全に解体。
かつてのユーゴスラビアは結局バラバラになり、現在は、コソボを含め7つの国家となりました。
セルビアの歴史(略史)
- 6〜7世紀頃、スラブ系のセルビア人が住み始める。
- 12世紀、セルビア王国が成立。バルカン半島最大の王国に発展するが、14世紀末、コソボの戦いでオスマン帝国にやぶれ、その支配下に入る。1878年、王国として独立を認められる。
- 1918年、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(セルブ=クロアート=スロヴェーン王国)の中心となる。
- 第二次世界大戦後の1945年、6共和国からなるユーゴスラビア連邦人民共和国を結成し、チトー大統領のもと独自の社会主義路線を歩んだ。
- 1991年、連邦が解体すると、翌年、モンテネグロとユードスラビア連邦共和国を形成。
- 1998年、コソボ紛争に介入し、翌年、NATO(北大西洋条約機構)軍から空爆された。
- 2006年にモンテネグロが、2008年にコソボが独立した。
セルビアの場所と国データ
正式名称 | セルビア共和国 |
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英語表記 | Republic of Serbia |
漢字表記 | 塞爾維 |
首都 | ベオグラード |
略号 | SRB |
面積 | 7万7474㎢(北海道とほぼ同じ) |
人口 | 693万人(2020年、セルビア統計局) |
通貨 | ディナール |
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言語 | セルビア語、ハンガリー語など |
民族 | セルビア人、ハンガリー人など |
宗教 | キリスト教(セルビア正教、カトリック)など |
独立年 | 1878年にオスマン帝国から独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 159人 |