アメリカ合衆国
※アメリカが独立してから今の国旗になるまでのデザインやエピソードは、アメリカの国旗、星条旗の歴史にて詳しく紹介しています。
国旗のデザインの由来
星条旗の愛称で親しまれているアメリカの国旗。
カントンと呼ばれる旗の左上部分の50星は、アメリカ合衆国を構成する州の数。赤と白の13本の条(すじ)は独立当初の13州をあらわしています。州の数が増えると星の数が増える方針で、過去27回も変更されています。
赤・青・白の配色に特別な意味はありませんが、一般に赤は勇気、白は真実、青は正義をあらわすといいます。初代大統領のジョージ・ワシントンは「星は天を、赤は母国なる英国を、赤地白条は母国英国からの独立をあらわす」としました。
原型は、独立宣言の翌年の1777年に英国国旗の配色を取り入れて作成されました。
アメリカの国章
1782年より使用されているアメリカの国章。青と赤白の13の縦縞を配した盾の背後に、翼を広げた鷲(ハクトウワシ)が、平和をあらわすオリーブの枝と戦いをあらわす白い矢を足で掴んでいます。
葉と弓の数はともに独立当時の州の数をあらわす13。ワシの頭上には、黄色い光線と白い輪の中の青地に、13州をあらわす13個の白い五稜星を配しています。
アメリカ合衆国の国名について
イタリアの探検家アメリゴ・ベスプッチの名前に由来。アメリカ大陸を最初に「発見」したのはコロンブスだが、コロンブスはインドだと思っていた。新大陸だと最初に主張したアメリゴの名がついた。
アメリカ合衆国の歴史
- 15世紀末にヨーロッパ人が入植するまでは、アメリカ・インディアンが部族ごとに暮らす地だった
- 1492年 イタリア人のコロンブスが現在の西インド諸島に到達、以後、スペイン、フランス、イギリスの植民地が建設された
- 1607年のバージニアから1732年のジョージアまで、東海岸にイギリスの13の植民地が形成される
- 1775年 本国イギリスとの間で独立戦争が始まる
- 1776年 独立を宣言
- 1783年 パリ条約で認められ戦争が終わる
- 1787年 アメリカ合衆国が誕生、その後西部への開拓が進む
- 1846年 西海岸に到達
- 1861年 南北戦争が始まる
- 1863年 リンカン大統領が奴隷解放を宣言
- 1865年 北郡の勝利で南北戦争が終わり、国家統一の基礎がかたまった。
南北戦争とリンカーン
19世紀半ば、アメリカでは奴隷制を維持するか廃止するかで、南部と北部がはげしく対立していました。1860年、奴隷制に反対するリンカーンが大統領に当選すると、南部11州が合衆国から脱退し、アメリカ連合国を結成したのです。これをきっかけに南北戦争が始まりました。初めは南部が優勢でしたが、1863年、リンカーンが奴隷解放宣言を発表し北部の結束を固めるとともに国際的な支持も得ると、人口や経済力で勝る北軍が勝利をおさめました。
この南北戦争中、リンカーンが演説した「人民の、人民による、人民のための政治」の言葉は、民主主義の精神をしめすものとして後の世界に重要な影響を残しました。
1865年、南部は降伏し、南北戦争は終結します。
アメリカ連合国(南軍)の旗
1861年に起きた南北戦争は4年間も続き、結局北軍が勝利しますが、その間アメリカ連合国(南軍)側では、アメリカ連合国の国旗や南軍旗が使われました。
当初の国旗は「スターズ・アンド・バーズ」と呼ばれる旗でした。北側の星条旗とよく似ているので、戦場では紛らわしいとして、別に南軍旗が作られました。
新しい南軍旗は、赤地にX字型で青色の十字を置き、十字の上に白い13の星を並べたものでした。
(南軍は奴隷制廃止に反対していたため、現在南軍旗を掲揚することは、人種差別を容認するものとして問題視されることがあります。)
南北戦争後の歴史
- その後工業が発達し、第一次世界大戦で国際的な地位が向上
- 1929年の世界大恐慌を経て、第二次世界大戦では連合国の中心的役割を担って勝利
- 戦後の東西冷戦では西側の主導国となるが、1965年〜73年のベトナム戦争に介入し失敗
- 1991年末のソ連崩壊で唯一の超大国となる
- 1991年の湾岸戦争以来、アフガニスタン、イラク、シリアなどに軍事介入を続け、イスラム諸国との対立も深めた
アメリカ合衆国の国データ
正式名称 | アメリカ合衆国 |
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英語表記 | The United States of America |
漢字表記 | 米国(略記:米) |
首都 | ワシントンD.C |
略号 | USA |
面積 | 962万8000㎢(日本の約25倍) |
人口 | 3億2775万人 |
通貨 | アメリカ・ドル |
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言語 | 英語 |
民族 | 白人、黒人、ヒスパニック、アジア系、ネイティブ・アメリカン、他 |
宗教 | キリスト教など |
独立年 | 1776年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 10:19 |
在留邦人数 | 42万6206人 |