イタリア


国旗のデザインの意味と由来


国民から「トリコローレ三色旗」の愛称で呼ばれているイタリアの国旗🇮🇹。レストランやトラットリアといったイタリア料理店の店頭に翻り、実は日本でいちばん多く見られる外国の国旗です。

はイタリアの美しい国土、はアルプスの雪、は愛国者の赤い血、熱血をあらわします。フランスの国旗🇫🇷ととてもよく似ていますが、それも当然の話で、イタリアの三色旗はフランスのトリコロール三色旗に由来しています。

1796年、ナポレオンはイタリア遠征を行った際、征服した北部イタリアに衛星共和国をいくつも作りました。その衛星国で使われたのが、緑・白・赤の三色旗でした。一説では、ナポレオン自らがフランス三色旗の青を緑に変えて、イタリア諸邦の統一旗にするように命じたとも伝えられ、トリコロールと同じように、3色で自由・平等・博愛を象徴するとされています。

ナポレオンが追放された後、イタリアではこの旗をシンボルとして統一運動が展開されました。そして1861年、統一国家イタリア王国が成立したときに正式な国旗になりましたが、当時はメキシコと同配色の三色旗だったため、中央にサボイア王家の紋章を入れました。後に王政が廃止された後、紋章のない現在の国旗になったというわけです。ちなみにメキシコの国旗🇲🇽より縦に長いデザインになっています。

※サボイア家(サヴォイ家)は、10世紀前後に開祖したイタリアの王家。トリノを都とし、1720年サルディーニャ王国を樹立して以来、イタリア統一運動の中心としてイタリア建国の牽引役となりました。


イタリアの国章


共和制になってから2年後に制定された国章(1948-)
中央の、赤い縁取りのついた白い五角星は国家をあらわします。星の後ろには、労働をあらわすグレーの歯車。周囲には、力を平和をあらわす樫の葉とオリーブの枝のリース。底部には白字でイタリア語の国名を記した赤いリボンがあります。


イタリアの国名について

古ラテン語の「ピタロス(子牛)」に由来する「イタル人の国」という意味。イタリア半島の南部で牛の放牧がされていたことからギリシャ人が名付けた。


イタリアの国旗の歴史


イタリアは、古代ローマ帝国の中心地として栄え、ベネチアやフィレンツェなどの都市国家群によるルネサンス発祥の地ともなった国。国内には、古代ローマ帝国の文化遺産をはじめ、イタリア・ルネサンスの珠玉の芸術品を引き継ぎ、自他共に世界的な伝統文化国家を誇る世界遺産の宝庫になっています。

しかし中世のイタリアでは、神聖ローマ帝国ドイツとの抗争状態が続き、またイスラム勢力も侵入してくるようになったため、国内は分裂状態で乱れていました。その結果、小王国(公国)や都市の分裂が続くことになり、フランスイギリスが革命や改革を重ね強国になっていく一方、ドイツと同様に統一が遅れました。

統一活動(リソルジメント)が始まったのは19世紀になってからのことです。
1859年、イタリア統一戦争(イタリアの統一を目指すサルデーニャ王国が、フランスのナポレオン3世の支援を取り付けて起こしたオーストリアとの戦争)が起こり、サルディーニャ王のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とその首相カヴールが、北部と中部のイタリアを統一。さらに英雄として名高いジュゼッペ・ガリバルディが義勇軍「赤シャツ千人隊」を率いてイタリア南部のシチリア島やナポリを占領。統一を求める人々の支援も得て、たちまち南イタリアを統一しました。

さて。北部と中部を統一したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と、南部を統一したガリバルディ。この2つの統一勢力がいよいよ衝突するかと思われましたが、結局ガリバルディは、サルディーニャ王にイタリア南部を献上しました。

テアーノの握手


『テアーノの会見』セバスチャーノ・デ・アルベルティス(1870年頃)※左がガリバルディ、右がヴィットーリオ・エマヌエーレ2世


1860年10月25日、ガリバルディはテアーノでヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を迎え、この場面は「テアーノの握手」としてイタリアの愛国的神話となっています。一般的に、ガリバルディが南イタリアを進んで献上し自らは身を引くことを宣言したという美談とされ、人々はガリバルディに感嘆と賞賛を送りました。しかし実際の会見は感動的なものではなく、ガリバルディはただ単に、併合を決めたナポリとシチリアの住民投票の結果を受けてこれに従ったのだともいわれています。

11月7日、ガリバルディはナポリに入城し、半島統一の残りの事業をヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に委ね、自身はカプレーラ島に引退しました。


『ガリバルディのナポリ入城』フランツ・ヴェンツェル・シュワルツ(1860年)


こうして1861年、イタリアは統一を果たし、ヴィットーリオ・エマヌエール2世のもとイタリア王国を樹立しました。

イタリアの歴史とともに、歴史的な旗(一部)を見ていきましょう。

ローマ軍の国旗


ローマ軍団旗(紀元前753-紀元後476)

紀元前753年は、ローマ建国の伝説年です。ローマ軍団旗は、槍先に横棒を付け、赤い正方形の布を垂らし、上に金属製のワシを配したもの。西洋では、これが旗の起源と考えられています。

SPQRの文字はラテン語で「元老院とローマ市民」の頭文字です。


チスパダーナ共和国の国旗


チスパダーナ共和国の国旗(1796-97)

1796年、ナポレオンが北イタリアに攻め入り、オーストラリア支配下の4州が親フランスのチスパダーナ共和国を建国。

中央に4州をあらわす4本の矢を入れた矢筒などを配した赤・白・緑の横三色旗が国旗に制定されました。


トランスパダーナ共和国の国旗


トランスパダーナ共和国の国旗(1796-97)

同じく1796年、ナポレオンはミラノ公国を廃し、トランスパダーナ共和国を建てました。そしてフランスの国旗🇫🇷をモデルとした緑・白・赤の縦三色旗を国旗に制定しました。


その後、チスパダーナとトランスパダーナを統合し、首都をミラノとするチザルピーナ共和国が成立。1802年にはナポレオンを大統領とするイタリア共和国に国名を改めました。


イタリア王国の国旗


イタリア王国の国旗(1805-14)

ナポレオンがフランス皇帝に即位すると、イタリア共和国はイタリア王国となり、共和国時代の旗の中央にナポレオンのシンボルとされる金の鷲が配されました。この旗は、1814年のナポレオン退位まで用いられました。


サルディーニャ王国 / イタリア王国の国旗


サルディーニャ王国国旗(1848-61)イタリア王国国旗(1861-1943)

1814年にはイタリア王国が消滅、サルディーニャ王国が強大化します。一時期は青い旗を使っていましたが、1848年に国旗を変更し、中央にサボイア家の紋章の白十字を配し、青い縁取りの赤い盾を入れた緑・白・赤の縦三色旗になりました。またこの旗は、1861年にイタリアが統一された後のイタリア王国でも使われました。


イタリア社会共和国の国旗


イタリア社会共和国の国旗(1943-45)

第二次世界大戦中の1943年、イタリア王国が連合軍に降伏。ナチス・ドイツに救出されたムッソリーニが第二のファシズム政権としてイタリア社会共和国を建国。ファシスト党のシンボルであるファスケスを掴む銀の鷲をあしらった軍隊用旗がプロパガンダの中で一般的に用いられました。


この後、反ファシズム勢力の市民兵パルチザンによってムッソリーニは処刑され、イタリア社会共和国が消滅。1861年にイタリア王国が成立したときの国旗が復活しました。

1946年にイタリアは共和制となり、1958年にはフランスやドイツとともにヨーロッパ経済共同体(EEC、現在のEU)を結成し、ヨーロッパ統合の中心国のひとつとなっています。


イタリアの場所と国データ




正式名称 イタリア共和国
英語表記 Italian Republic
漢字表記 伊太利(略記:伊)
首都 ローマ
略号 ITA
面積 30万1000㎢(日本の約5分の4)
人口 6,036万8千人(2021年国連推計値。日本の約半分)


通貨 ユーロ
言語 イタリア語
民族 イタリア人
宗教 キリスト教(カトリック、プロテスタント)、ユダヤ教、イスラム教、仏教
独立年 1861年にイタリア王国樹立
国旗の比率 2:3
在留邦人数 1万4146人

Information


イタリア国旗

ITALY
(3:5)


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