ルーマニア
国旗のデザインの由来と意味
青は澄んだ空を、黄色は鉱物・穀物を、赤は国民の勇気と独立闘争をあらわします。同時に、黄色と赤はワラキア、赤と青はモルダビアを象徴しています。(ルーマニアは、中世にワラキア公国、モルダビア公国が形成された地です。)
国旗の原型は、1848年のワラキア革命で使われた青・黄・赤の三色旗。1861年、ルーマニア公国に国名を改めたときに制定されたのは横三色旗でしたが、1867年には縦三色旗となりました。
第二次世界大戦後の1947年、王制が廃止されて人民共和国となって以降は、国旗には社会主義型の国章が描かれていました。
ルーマニア社会主義共和国の国旗
こちらは1965年に、ルーマニア社会主義共和国と国名を改めた時に制定した旗です。
しかしこの後、1989年には、24年間続いたチャウシェスク大統領の独裁体制の打倒を目指すルーマニア革命が起こります。国民はそれまでの国旗から、社会主義色の強い国章を切り取り、首都ブカレストの大通りを行進。流血の末、独裁政権は倒されました。
そして1989年からは、現在の国旗🇷🇴が使われています。
さて。シンプルな縦三色旗になったルーマニアの国旗。国旗から紋章を省くと、アフリカのチャドの国旗🇹🇩と同じデザインになりました。チャドとルーマニアの国旗を見分けるコツは、青の色の差を見ることです。ルーマニアは青が少し明るく、チャドの青は少し濃くなっています。
ルーマニアの国章
ルーマニア正教の十字架を咥えるワラキアの鷲が描かれた、青い盾型紋章。足に持っているのは、ワラキアの聖ミカエルの笏(しゃく・飾りを付けた杖)と、モルダビアの聖ステファンの剣。
胸の盾にはそれぞれ、ワラキア(左上)、モルダビア(右上)、バナト・オルテニア(左下)、トランシルバニア(右下)、ドブロジャ(下中央)の5つの地域をあらわす図象が描かれています。
ルーマニアの国名について
「Roma(ローマ)」と、地名接尾語の「-ia」で「ローマ人に国」という意味。古代ローマの移住民とスラブ系民族によって建国され、国民は「ローマ人の末裔」を自認している。
ルーマニアの歴史(略史)
ルーマニアは、東欧のスラブ人の国々の中にありますが、古代ローマ(ラテン人)の血を引く国で、「東欧の異端児」と呼ばれています。2世紀、古代ローマのトラヤヌス帝の時代にローマ軍により征服されラテン化し、国名はそのローマに由来しています。
第一次世界大戦後に王国として独立し、第二次世界大戦後はソ連の圧力を受けて共産化し、1947年にルーマニア人民共和国が成立。1965年、当時の首相ゲオルギウ・デジが死去すると、チャウシェスクが権力を継承し、その後24年間にわたり、ルーマニア共産党政権の頂点に立つ独裁的権力者として君臨しました。
そして1989年に東欧諸国で一斉に起こった東欧革命(ソ連の衛星国であった東ヨーロッパ諸国で、共産主義体制が連続的に倒された民主革命)の嵐の中、ルーマニアではチャウシェスク大統領の独裁政権に対する国民の怒りが爆発。12月、ついに起こった民族蜂起(ルーマニア革命)によって独裁政権が倒されました。
ちなみにルーマニアは、ドラキュラ伯爵が誕生した国としても知られています。ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』で一躍有名になりました。15世紀ワラキア公国のヴラド3世(串刺公)がモデルといわれ、内外の敵を残忍な方法で殺したという伝説が残っています。実際にはヴラド3世はドラキュラ伝説と関係ありませんが、彼の祖父が建てたヴラッド・ツェペシュの居城跡は「ドラキュラ城」と呼ばれ、現在も観光地として人気を博しています。
- 106年、ローマ帝国に支配され、ロマニアと呼ばれる。
- 14世紀にワラキア公国とモルダビア公国が成立。
- 15世紀、オスマン帝国に支配され、1878年にオスマン帝国から独立。1881年、ルーマニア王国になる。
- 第一次世界大戦後、トランシルバニアを併合し、大ルーマニア帝国が成立。
- 第二次世界大戦では枢軸国側につくが、1944年の政変で連合国側につく。
- 1947年に社会主義のルーマニア人民共和国が成立。1965年、国名をルーマニア社会主義共和国に改め、チャウシェスクによる独裁体制が始まる。
- 1989年、独裁政権が倒され、国名をルーマニアに改める。2007年、EU(ヨーロッバ連合)に加盟する。
ルーマニアの国データ
正式名称 | ルーマニア |
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英語表記 | Romania |
漢字表記 | 羅馬尼亜(略記:羅) |
首都 | ブカレスト |
略号 | ROU |
面積 | 23万8000㎢(本州とほぼ同じ) |
人口 | 1976万人 |
通貨 | レイ |
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言語 | ルーマニア語、ハンガリー語 |
民族 | ルーマニア人、ハンガリー人など |
宗教 | キリスト教(ルーマニア正教、カトリック) |
独立年 | 1878年にオスマン帝国から独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 318人 |