赤旗とトリコロールの密接な関係①

赤い旗と聞いたとき、どの国旗が思い浮かびますか?
おそらく、旧ソ連や中国といった、社会主義国の旗をイメージする人が多いのではないでしょうか。

赤は、国旗に使われている色の中では一番多く使われている色です。たくさんの国が国旗に赤を使っているのに、なぜ、一部の赤い旗は「社会主義の旗」とされるのでしょうか。一体いつから赤い旗が、社会主義の象徴になったのでしょう?

社会主義とは?
生産物・富を民主的に分配するため、生産手段を社会の共有とする制度、およびその実現を目的とする社会思想・社会運動

実は、赤旗の歴史はフランス革命のときから始まっています。フランスの国旗トリコロール(三色旗)とは、いわば同級生。時にライバルで、時に仲間、と呼べるような関係でした。

この記事では、赤い旗が社会主義のシンボルとなるまでの歴史、そしてトリコロールとの関連性を、フランスの革命期の歴史を辿りながら紹介します。

赤旗も、フランス革命のときに誕生した

もともと真っ赤な旗は、フランス革命の時に「今から軍隊を投入しますよ」ということを民衆に知らせるための旗でした。このようなお知らせを戒厳令と呼びます。


例えば、パリで暴動が起きたとき、街に赤い旗が掲揚されたら、人々は集会を解散して家に帰らなければいけません。
解散しない場合には、軍事力が使われて銃の発砲が許可されます。

最初は、社会主義も労働者も全く関係ない旗でしたが、フランスでの革命が進む中で、徐々に意味合いが変わっていきます。


パリと王家の和解を願って…トリコロールの三色


1789年、バスティーユ牢獄襲撃から始まったフランス革命は、王様の絶対的な権力と圧政に対する、貴族・民衆の反抗によるものでした。

襲撃の翌日のことです。その勝利によってパリの選挙人たちは、市長と革命軍の指揮官を選出しました。革命軍の指揮官に任命されたのが、アメリカの独立戦争でも活躍し「新大陸の英雄」と称えられていた軍人、ラファイエット。フランス人権宣言を起草したことでも有名な人物です。漫画『ベルサイユのばら』(池田理代子 原作)にも登場しています。

ラファイエットは、赤、白、青の三色の帽章(帽子に付けるブローチのようなもの)を国民衛兵に与えます。これがフランスの国旗トリコロール(三色旗)の起源とされています。


この花形帽章のデザインでは、パリ市の色である青と赤の間に、フランス王家をあらわす白が置かれています。
三色旗が広く世界に知れ渡り、「自由・平等・博愛」のシンボルとなったのは後のことで、もともとは、パリと王家との和解を願う意図があったといいます。


フランス革命で、国王ルイ16世や王妃マリーアントワネットらは処刑されてしまいますが、そもそも最初は、王様を処刑しようとか、王政を倒そうとして始まった革命ではありませんでした。国王も革命初期にはまだ、国民たちに支持されていたのです。革命はあくまでも、立憲君主制(君主の権力が、憲法により規制されている政治体制)を目指して行われたものでした。

しかし、ルイ16世らは、妻の実家のオーストリアに逃げようとしたり、フランス革命を潰そうとする敵国にフランス軍の作戦を漏らしていたので、どんどん国民たちの支持を失っていきました。次第に「王様なんていらないんじゃない?」という共和主義(国民による自己統治を目指す思想)の風潮が高まり、革命は過激化していきます。

そしてある日、事件が起きます。


シャン・ド・マルスの虐殺

1791年7月、パリの練兵場シャン・ド・マルス(火星=軍神の広場)に5万人が集まり「王様いらない派」の共和主義者たちの集会が行われたときのことです。軍隊が、戒厳令の赤旗を掲げて広場にやってきて、解散命令を出しましたが、群衆は解散しませんでした。

この時、ラファイエット将軍は、国民衛兵隊に命じて一斉射撃をしたのです(シャン・ド・マルスの虐殺)。それまで国民に慕われていたラファイエット将軍は、この事件により一気に人気を失います。(しかし共和主義者たちも、見せしめのために、広場に隠れていた男性の首を括って吊るしたりと、かなり過激でした… )


『国民衛兵隊に発砲を命じるラファイエット』アリーシェファー

『国民衛兵隊に発砲を命じるラファイエット』アリーシェファー


その後「王様いらない派」の共和主義者たちは、このシャン・ド・マルスで使われた赤旗を逆手に取って、自分たちも赤旗を作り「民衆の側の戒厳令」という文字を縫い込んだ旗を使うようになりました。「こちらも武力行使を辞さない」という意思表示ですね。

赤旗を掲げた共和主義者たちは、8月10日、実際に武装蜂起を行い、王宮を占領します。


『テュイルリー襲撃の際の宮廷内の戦闘』アンリポールモット

『テュイルリー襲撃の際の宮廷内の戦闘』アンリポールモット


この8月10日事件をきっかけに、王政は廃止へ。フランスは共和国になります。翌々年の1793年には、ルイ16世、マリーアントワネットらは処刑されました。

こうしてこれ以降、真っ赤な旗は、民衆の政治的な意思表示の手段として使われるようになりました。しかしまだこの段階では、赤旗に社会主義の意味合いはありませんでした。


王様が処刑された後のフランス

王政が廃止となったフランスですが、ロベス・ピエールによる恐怖政治、五人の総裁によるまとまらない政治などが続き、なかなか平和は訪れません。ついにナポレオン・ボナパルトが登場すると、フランスの共和政を潰そうとするヨーロッパ諸国を次々と撃破し名声を高めました。1799年、ナポレオンはクーデターを起こし政権を掌握します。(一般的には、この1799年のブリュメールのクーデターまでをフランス革命といいます)

ナポレオンは、国民からの支持を得て皇帝になりました。しかし、トリコロール(三色旗)を掲げヨーロッパ中をかけめぐったナポレオンも、1815年に没落します。そして、ヨーロッパをフランス革命前の状態に戻したい各国の思惑により、フランスは再び王政に逆戻りするのでした。

フランスでは、まだまだ革命が続きます。王様の政治が復活したり、共和政になったり、また皇帝が誕生したりと…政治体制がめまぐるしく変わっていきます。

後半の記事では、フランスの7月革命、2月革命の歴史を辿りながら、赤旗が本格的に労働者や社会主義者のシンボルとなっていった経緯を紹介します。


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