チャド
国旗のデザインの由来と意味
チャドの国旗は、アフリカで17ヵ国もの国が独立を達成した「アフリカの年(1960年)」の前年、独立を前に制定されました。
青は空と希望、黄色は太陽と砂漠、赤は進歩統一をあらわします。
旧宗主国フランスのトリコロール(三色旗)🇫🇷の白の部分を、汎アフリカ色のひとつである黄色に変えた三色旗です。
チャドやその他の西アフリカ諸国では、長年のフランス支配の後、1950年代末に自治権を認められ、国旗に関する歴史的背景を持たずに国旗を定めることになりました。そのため、これらの地域には、フランスの国旗に影響を受けた三色旗が多いのだと考えられています。
ちなみにチャドの国旗は、ルーマニアの国旗🇷🇴とほぼ同じ。1989年に、ルーマニアが社会主義時代の紋章を国旗から取り除いたことで、偶然にもチャドの国旗🇹🇩と寸分変わらないデザインとなり混乱が生じました。
チャドとルーマニアの国旗
チャドの国旗の方が、青が少しだけ濃い。というのが見分けるヒントです。是非見比べてみてください。
さらに、アンドラ🇦🇩とモルドバ🇲🇩の国旗も、チャドの国旗に紋章を加えたようなデザインになっています。モルドバは国内では紋章をつけない旗を使うことが多いので、この青・黄・赤の縦三色旗は、混乱しやすい国旗の配色といえますね。
国章は、カラハリ砂漠の砂をあらわす白い盾型紋章。工業をあらわす3つの歯車、川をあらわす3本の青い波線、牧畜をあらわす牛の頭、盾の左右には象牙とモロコシを掲げた2頭のシマウマで構成されています。下のリボンに記されているのが、「PULA(雨、雨よ降れ)」。
また、ボツワナ国旗の白と黒の線には、国章に描かれているシマウマの模様もあらわされているともいわれています。
チャドの国名について
この地の南西部にあり、「大きな水域」の意味を持つチャド湖に由来。チャド湖は昔、チャド、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンにまたがる大きな湖だった。1980年代後半から1990年代後半にかけて、灌漑(かんがい)や気候変動により面積が10%以下まで激減し問題となったが、その後水量は回復傾向に向かい、2003年以降はさらに回復が加速した。
チャドの歴史(略史)
- 狩猟採集のサン人(ブッシュマン)が住んでいたこの地に、17世紀頃、ツワナ人が住み着き、18世紀にツワナ首長国を建てた。
- 1835年、南からオランダ系移民のブール人が侵入してくると、ツワナ王のカーマ3世はイギリスに保護を求め、1885年にイギリスの保護領ベチュアナランドとなる。
- 1910年には南アフリカ駐在のイギリス高等弁務官(特命全権大使)の管轄のもとに入る。
- 第二次世界大戦後の1962年、カーマ3世の孫のセレツォ・カーマがベチュアナランド民主党(のちのボツワナ民主党)を結成して独立運動を進め、1966年にイギリス連邦内のボツワナ共和国として独立。カーマが初代大統領に就き、複数政党制のもとで政権を握る。
- 多数派の黒人と少数派の白人との融和を進め、政情は安定している。
チャドの国データ
正式名称 | チャド共和国 |
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英語表記 | Republic of Chad |
漢字表記 | 茶都 |
首都 | ンジャメナ |
略号 | CHA |
面積 | 128万4000㎢(日本の約3.4倍) |
人口 | 1548万人 |
通貨 | CFAフラン |
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言語 | フランス語、アラビア語、各部族語 |
民族 | サラ族、チャド・アラブ族、マヨ・ケビ族、カネム・ボルヌ族他 |
宗教 | イスラム教、キリスト教など |
独立年 | 1960年にフランスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 5人 |