ケニア


国旗のデザインの意味と由来


は国民を、は独立の戦いで流された血を、は森林を、は民族の統一と平和をあらわします。

中央の絵柄は、勇猛なことで知られるサバンナの遊牧民、マサイ族の伝統的な槍と盾を組み合わせたものです。でも、マサイ族は全人口の1%にも満たない少数派。にもかかわらず、なぜマサイ族の槍と盾が描かれているのでしょう?

実は、イギリスからの独立戦争のとき、イギリス軍は銃を使いましたが、ケニア軍は槍と盾で独立を勝ち取ったとされています。国旗に描かれた武具は、その誇りをあらわすために描かれた図柄。国土と自由を守る意志を示しているのです。
また、マサイ族は勇敢でプライドが高く「草原の騎士」と呼ばれている民族。19世紀、ヨーロッパから訪れる探検者に立ち向かい、追い払ったことでも有名です。

1963年、独立が宣言された日には、ケニヤ山の山頂にこの国旗が劇的に掲げられたという逸話が伝えられています。

一般的に赤・白・黒・緑汎アラブ色に見られるようにイスラムの色とされています。しかしケニアの国旗は、独立闘争の中心で戦った初代大統領ケニヤッタが設立した「ケニア・アフリカ民族同盟(KAU)」の党旗をモデルとしたもので、もともとは黒人解放旗として知られている「世界黒人開発協会アフリカ社会連合(UNIA-ACL)」の旗に由来した配色となっています。


黒人解放旗(ガーベイ旗)


世界黒人開発協会アフリカ社会連合の旗

黒・赤・緑の3色は、黒人民族主義の指導者マーカス・ガーベイが考案した配色で、後に世界の黒人国家主義者のシンボルになりました。


世界の国旗でも、ケニアの他に、マラウイ🇲🇼、カリブ海のセントクリストファー・ネイビス🇰🇳などがこの配色を踏襲していて、UNIA-ACLによると、汎アフリカ色赤・黄・緑ではなく、この赤・黒・緑の配色であるという主張もあります。

ちなみに、初代大統領「ケニヤッタ」の名のいわれは、“燃える盾”。国旗に描かれた2本の槍は、この指導者を連想させます。


ケニアの国名について

ケニヤ山が名が由来。山の名前は、雪を頂いた山がガチョウの頭に見えることから、カンバ語の「kinyaa(ダチョウの山)」に由来しているという説や、キクユ語の「ケレニヤガ(ミステリーの山)」に由来しているなど諸説ある。


ケニアの歴史


  • 7世紀頃からアラブ人が渡来し、モンバサなど港町がひらかれた。
  • 15世紀末、ポルトガルの航海者バスコ・ダ・ガマが来航し、以後ポルトガルが進出した。その後、アラブ人が再び進出。
  • 19世紀半ばにイギリスが勢力を伸ばし、1895年にイギリスの東アフリカ植民地となる。鉄道が敷かれ、白人入植者が内陸部に進出した。
  • 第二次世界大戦末期に、ケニア・アフリカ民族同盟が結成され、1963年にイギリス連邦内の王国として独立を達成。1964年に共和制に移り、ケニヤッタ大統領のもと、経済発展を遂げる。
  • 1991年、複数政党制を取り入れるが、2007年の選挙の結果をめぐり、与党と野党の対立が激しくなり暴動となった。その後もイスラム過激派によるテロ事件などが起こり、政情は不安定である。

ケニアの国データ



正式名称 ケニア共和国
英語表記 Republic of Kenya
漢字表記 背尼亜
首都 ジブチ
略号 KEN
面積 58万3000㎢(日本の約1.5倍)
人口 4970万人


通貨 ナイロビ
言語 スワヒリ語、英語
民族 キクユ族、ルヒヤ族、カレンジン族、ルオ族など
宗教 伝統宗教、キリスト教、イスラム教
独立年 1963年にイギリスから独立
国旗の比率 1:2
在留邦人数
728人

Information


ケニア国旗

KENYA
(3:5)


スポンサードリンク

関連記事

関連のある国旗