シエラレオネ
国旗のデザインの由来と意味
シエラレオネの国旗は、汎アフリカ色が多いアフリカの国旗の中では異色の、緑・白・青の三色旗。
緑は農業を、白は正義と団結を、青は大西洋をあらわすとともに、シエラレオネ唯一の良港であるフリータウンが将来、世界平和に貢献できるようにとの願いが込められています。1961年にイギリスから独立した時に制定した国旗ですが、当時、他の国の国旗にはない3色の組み合わせは新鮮なものとして受け止められました。
この国は、16世紀にはヨーロッパ人による奴隷・象牙貿易がおこなわれましたが、1778年にイギリスの植民団体が海沿いの土地を購入して以来、イギリスの植民地となっていました。
その後、イギリスに関係する各地からの解放奴隷がこの地に戻され、現在の首都フリータウンを築きます。1896年には内陸部も保護領となり、1961年に独立。1971年には共和国になりましたが、国旗のデザインは変わらず、独立時から同じ国旗を使用しています。
国章は、カラハリ砂漠の砂をあらわす白い盾型紋章。工業をあらわす3つの歯車、川をあらわす3本の青い波線、牧畜をあらわす牛の頭、盾の左右には象牙とモロコシを掲げた2頭のシマウマで構成されています。下のリボンに記されているのが、「PULA(雨、雨よ降れ)」。
また、ボツワナ国旗の白と黒の線には、国章に描かれているシマウマの模様もあらわされているともいわれています。
シエラレオネの国名について
スペイン語で「ライオンの山」という意味。「この国の半島の形がライオンに似ているため」という説や、「西部の半島ピケットヒルにとどろいた雷鳴がライオンの遠吠えに似ていたから」という説など諸説ある。
シエラレオネの歴史(略史)
- 狩猟採集のサン人(ブッシュマン)が住んでいたこの地に、17世紀頃、ツワナ人が住み着き、18世紀にツワナ首長国を建てた。
- 1835年、南からオランダ系移民のブール人が侵入してくると、ツワナ王のカーマ3世はイギリスに保護を求め、1885年にイギリスの保護領ベチュアナランドとなる。
- 1910年には南アフリカ駐在のイギリス高等弁務官(特命全権大使)の管轄のもとに入る。
- 第二次世界大戦後の1962年、カーマ3世の孫のセレツォ・カーマがベチュアナランド民主党(のちのボツワナ民主党)を結成して独立運動を進め、1966年にイギリス連邦内のボツワナ共和国として独立。カーマが初代大統領に就き、複数政党制のもとで政権を握る。
- 多数派の黒人と少数派の白人との融和を進め、政情は安定している。
シエラレオネの国データ
| 正式名称 | シエラレオネ共和国 |
|---|---|
| 英語表記 | Republic of Sierra Leone |
| 漢字表記 | 獅子山 |
| 首都 | フリータウン |
| 略号 | SLE |
| 面積 | 7万1740㎢(日本の約5分の1) |
| 人口 | 765万人 |
| 通貨 | レオン |
|---|---|
| 言語 | 英語、クリオ語、メンデ語、テムネ語など |
| 民族 | メンデ族、テムネ族、リンパ族、クレオール(黒人と白人の混血)など |
| 宗教 | イスラム教、キリスト教、アニミズム信仰 |
| 独立年 | 1961年にイギリスから独立 |
| 国旗の比率 | 2:3 |
| 在留邦人数 | 22人 |