チュニジア
国旗のデザインの由来と意味
白の円は太陽を、三日月と星は国教のイスラム教をあらわします。
また星の5つの角は、イスラム教を信仰する人々が行う五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)をあらわすともいわれています。
三日月の由来には諸説あり、トルコ由来という説や、古代フェニキア人に由来するという説があります。
- 16世紀以来、チュニジアはオスマン帝国の領土だった。19世紀になって、ベイ・アメフト1世がこの地を支配するようになったとき、トルコの新月旗をもとにして旗を作ろうとした。
- 地中海沿岸のイスラム諸国では、古くから無地の赤旗が使用されてきたが、19世紀、この地域を支配していたベイ・アメフト1世が、他の国と区別するため、六角星と三日月の模様を赤旗に加えた。
- 今のレバノンの地に栄えたフェニキア人たちは、レバノン杉で作った船に乗り、現在の首都チュニス付近に到達すると、古代ローマに対抗する勢力を持つカルタゴの都市国家を築いた。三日月はフェニキアの女神タニスのシンボルであり、カルタゴの旗印だった。
1999年には三日月と星のデザインが少し修正されています。
それまでの国旗は、今よりも月が若干小さくて先端が短いデザインでした。
チュニジアは、かつてはフェニジア人の貿易の中継地や都市国家カルタゴなどで栄えた国です。イスラム教国ですが、1956年のフランスからの独立後、近代化を政策の中心に掲げ、イスラム諸国の中では穏健なソフト路線で中東とヨーロッパの先進国とのパイプ役を果たしてきました。
2010年から2011年にかけて、民主化運動のジャスミン革命が起こり、23年間続いたベン・アリ政権が崩壊。この民主化運動は他のアラブ諸国にも広がっていき、各国の長期独裁政権への国民の不満が、政治改革を引き起こす一因となりました。ジャスミンはチュニジアを代表する花なので「ジャスミン革命」と命名されたそうです。
国章は、カラハリ砂漠の砂をあらわす白い盾型紋章。工業をあらわす3つの歯車、川をあらわす3本の青い波線、牧畜をあらわす牛の頭、盾の左右には象牙とモロコシを掲げた2頭のシマウマで構成されています。下のリボンに記されているのが、「PULA(雨、雨よ降れ)」。
また、ボツワナ国旗の白と黒の線には、国章に描かれているシマウマの模様もあらわされているともいわれています。
チュニジアの国名について
フェニキア人の女神「タニトフ」がアラビア語を経てフランス語で「チュニス」となり首都の名前となった。その首都チュニスの名が国名の由来となっている。
チュニジアの歴史(略史)
- 狩猟採集のサン人(ブッシュマン)が住んでいたこの地に、17世紀頃、ツワナ人が住み着き、18世紀にツワナ首長国を建てた。
- 1835年、南からオランダ系移民のブール人が侵入してくると、ツワナ王のカーマ3世はイギリスに保護を求め、1885年にイギリスの保護領ベチュアナランドとなる。
- 1910年には南アフリカ駐在のイギリス高等弁務官(特命全権大使)の管轄のもとに入る。
- 第二次世界大戦後の1962年、カーマ3世の孫のセレツォ・カーマがベチュアナランド民主党(のちのボツワナ民主党)を結成して独立運動を進め、1966年にイギリス連邦内のボツワナ共和国として独立。カーマが初代大統領に就き、複数政党制のもとで政権を握る。
- 多数派の黒人と少数派の白人との融和を進め、政情は安定している。
チュニジアの国データ
正式名称 | チュニジア共和国 |
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英語表記 | Republic of Tunisia |
漢字表記 | 突尼斯 |
首都 | チュニス |
略号 | TUN |
面積 | 16万3610㎢(日本の約5分の2) |
人口 | 1157万人 |
通貨 | チュニジア・ディナール |
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言語 | アラビア語、フランス語 |
民族 | アラブ人、その他 |
宗教 | イスラム教(スンニ派、シーア派)、ユダヤ教、キリスト教 |
独立年 | 1956年にフランスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 133人 |