バングラデシュ


国旗のデザインの由来と意味


緑色はイスラムの伝統色。緑深い国土や豊かな大地をあらわし、赤い丸は昇る太陽と独立闘争で流された血をあらわします。

バングラデシュは以前はパキスタンの一部でしたが、激しい独立闘争を経て、1971年に独立を果たしました。この国旗は独立後に制定されたもので、豊かな森林から昇りゆく太陽の恵みや、暗黒時代を脱した後の夜明けがあらわされたデザインになっています。

丸は中央ではなく、旗竿側に20分の1寄っています。その理由は、掲揚した旗が風ではためいたときに、丸が中央に見えるようにというデザイン上の意図によるもの。
また一説によると、丸い太陽のシンボルは、パキスタンの国旗🇵🇰に描かれている三日月と星に対抗したものともいわれています。

この国旗は、独立闘争にも参加していたバングラデシュの画家、カムルル・ハサンによってデザインされました。当初は赤い丸の中にバングラデシュの地図がシルエットで描かれていました。


バングラデシュの国旗(1971-72)

しかしこのデザインだと、国旗を縫う際、地図の部分に5枚の布が必要となるため中央が重くなり、風にはためきにくくなってしまいます。
かといって染めると、裏の地図の東西が逆になってしまうという欠点があったため、独立の翌年に地図が省かれました。


バングラデシュ国旗の設計図


バングラデシュの国章


バングラデシュの国章も、最初は赤い円の中に黄色い地図が描かれたものを使っていましたが、国旗から地図が省かれた1972年、国花の睡蓮(すいれん)の花と農産物からなる黄色い国章に変更されました。


バングラデシュの国章(1972-現在)


バングラデシュの国章(1971-72)


赤い丸の中に地図が描かれたかつての国章は、今ではバングラデシュ政府の章として使われています。


バングラデシュの国名について

「ベンガル人の国」という意味の国名。ミャンマーとの国境沿いには、チャクマ族などを中心とした少数民族が居住するが、人口の大部分はベンガル人が占めている。


バングラデシュの歴史(略史)


バングラデシュは、ガンジス川下流のデルタ地帯に開けた平坦な国で、かつてはパキスタンの飛び地で、通称「東パキスタン」と呼ばれていました。

しかし、言語の国語化や政策などがパキスタンに偏っていたり、東と西の経済格差などが原因で不満が爆発。東西で対立が起きました。
その際、パキスタンの武力制圧によって発生した難民がインドに流れ込みましたが、難民を抱えるだけの力がなかったインドは東パキスタンの独立を支持してこの対立に介入。第三次印パ戦争が勃発し、インドが勝利した結果、バングラディシュの独立が決まりました。

2021年現在、バングラデシュの首相を務めるシェイク・ハシナは、パキスタンからの独立を達成したムジブル・ラーマン初代大統領の娘。1975年に大統領である父と母、弟がクーデターで殺害されるも、自身は海外にいたため難を逃れました。帰国後は父が率いた政党であるアワミ連盟の総裁として民主化運動を指導。1990年にはエルシャド大統領を退陣させ、約7年にわたる軍事独裁を集結させました。

  • 紀元前3世紀にマウリヤ朝の支配下に入り、4世紀にグプタ朝が支配する。9世紀以降は仏教国のパーラ朝が栄える。
  • 13世紀に入り、イスラム教の勢力が進出し、1576年にムガル帝国に征服される。18世紀、イギリスの植民地となる。
  • 1947年にインドからパキスタンが分かれてそれぞれ独立したとき、東パキスタンとなる。しかし政治的・経済的な圧迫から1971年にバングラデシュとして独立。1974年に国際連合に加盟。
  • 1975年にクーデターが発生し、軍事政権となる。その後もクーデターが続き、1990年に民主化。
  • 1991年、初の女性首相が誕生し、議院内閣制が復活。以降、2大政党が政権交代を繰り返す。
  • 2015年の反政府運動に伴うテロの発生や2016年の反イスラムテロの発生など、不安定な情勢が続いている。

バングラデシュの国データ



正式名称 バングラデシュ人民共和国
英語表記 People's Republic of Bangladesh
漢字表記 孟加拉国
首都 ダッカ
略号 BGC
面積 14万7000㎢(日本の約40%)
人口 1億6365万人


通貨 タカ
言語 ベンガル語
民族 ベンガル人
宗教 イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教
独立年 1971年にパキスタンから独立
国旗の比率 3:5
在留邦人数
964人

Information


バングラディシュ国旗

BANGLADESH
(3:5)


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