リトアニア
国旗のデザインの由来と意味
黄色は太陽、光、幸福を、緑は国土の美しさ、希望、喜びを、赤は大地、活力、血、祖国の自由を求めて戦った国民の勇気と忍耐をあらわしています。
旗の原型は、1898年に民族解放運動の中から生まれたもので、ロシア革命後の1918年から国旗として使われました。もともと、伝統的な民族衣装の色彩から生まれた配色といわれていて、特に赤は中世のリトアニア公国の紋章の色でもありました。
黄色・緑・赤の3色はアフリカ諸国で使われている汎アフリカ色と同じ配色ですが、リトアニアの国旗とは関係ありません。
2004年に縦横比が1:2から3:5に変更されました。
リトアニアの国名について
「Lietuva(海岸)」に地名接尾語の「-ia」がついて「海岸部の国」という意味。かつて国土だった場所を流れていた川の流域の古称「Lieta(流れる)」が転じて、「流域の地」だという説もある。
リトアニアの歴史
リトアニアは、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)のいちばん南に位置する国で、中世にはヨーロッパ屈指の大国でした。
13世紀にドイツ騎士団の侵入に抵抗してリトアニア公国を形成し、14世紀には東ヨーロッパ最強の国家に発展しました。
その後、ポーランド、ロシア、ドイツなど列強の支配が続き、ロシア革命後の1919年に独立を達成しましたが、1940年に独ソの密約によりソビエト連邦に併呑されました。バルト3国の中でも最も過激な独立運動を展開し、1991年のソ連崩壊の過程で独立を回復しました。
第二次世界大戦中、リトアニアの日本領事館の外交官、杉浦千畝(すぎうらちうね)が、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとする多くのユダヤ人にビザを与え、アメリカなどに逃した逸話が広く知られています。
- 古くからバルト系の民族が住んでいた。
- 13世紀初め、リトアニア大公国が成立し、キリスト教を受け入れた。
- 16世紀にリトアニア・ポーランド同君連合国を形成するが、のち、実質的にポーランドに統合され、18世紀末にポーランドが分割されるとロシア領となる。
- 1918年、ロシア革命に伴い独立を宣言。
- 第二次世界大戦中の1940年には、ソ連軍の占領下でソ連邦に加入。
- 1941年、ドイツに占領されるが、1944年には解放。
- 1990年、ソ連邦から分かれて独立を宣言。翌年、国連に加盟する。
- 2004年、北大西洋条約機構(NATO)、およびEU(ヨーロッパ連合)に加盟する。
リトアニアの国データ
正式名称 | リトアニア共和国 |
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英語表記 | Republic of Lithuania |
漢字表記 | 立陶宛 |
首都 | ビリニュス |
略号 | LTU |
面積 | 6万5000㎢(北海道の約5分の4) |
人口 | 281万人 |
通貨 | ユーロ |
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言語 | リトアニア語 |
民族 | リトアニア人 |
宗教 | キリスト教(カトリック)など |
独立年 | 1991年にソ連邦から独立 |
国旗の比率 | 3:5 |
在留邦人数 | 82人 |