エストニア
国旗のデザインの意味と由来
大地の黒、空の青、雪の白で構成されている、エストニアの三色旗🇪🇪。
同時に、黒は国家の過酷な歴史を、青はそれでも失わなかった希望と団結を、白は明るい未来と高潔さをあらわしています。また青は、お隣の国フィンランド🇫🇮などに見られるように、フィン・ウゴル語派の民族に共通する伝統色でもあり、古い紋章にある3頭の青い獅子(ライオン)にちなんでいます。
1820年代初頭、今ではバルト諸国で学問の最高峰とされるタルトゥ大学では、バルト3国の各州(エストニア、リヴォニア、キュロニア)ごとの学生団体が作られました。それぞれが選択した独自の色「ファーベン(Farben)」が各州をあらわす色になり、後にエストニア国旗の配色の由来となります。1881年、タルトゥ市で開催されたエストニア初の国立学生団「バビロニア」の集会で初めて正式に採用されました。
後に国旗となりましたが、ソビエト連邦に強制併合された1940年には一旦消滅しました。1980年代後半に入って、エストニアの独立回復運動の中で再び使われるようになり、1991年に独立を回復したことで、国旗として復活しました。
2001年には、国旗の横三色のデザインを、北欧のスカンジナビア諸国に共通するスカンジナビア十字に変更する案が出されました。しかし北欧側が、エストニアとロシアとの複雑な関係に配慮して受け入れなかったため、未だ国旗は変わっていません。
エストニアの国章
1990年から使用されている国章。国旗と同じく主権回復を宣言したときに、1918年に制定したこの国章を復活させました。
中央に3頭の青い獅子を描いた金色の盾で、樫の葉のリースがまわりを囲んでいます。この紋章は、デンマークの王ヴァルデマール2世がエストニアのタリンを統治していた12世紀に作られました。デンマークの国章にも同じ3頭の獅子が配されています。
エストニアの国名について
国民の大半を占めるエストニア人はフィン系民族で、自らを「エスティ」と呼ぶことに由来する。「エスティ」とは「東の」という意味で、国名は「東の国」という意味になる。
エストニアの歴史(略史)
エストニアはヨーロッパ北東部、バルト海に臨むいわゆるバルト3国の最北部に位置する国。中世に遡る歴史を持ち、古くから、デンマーク、ドイツ、スウェーデン、ロシアといった大国に翻弄されてきました。住民はフィンランド人と近親関係にあるアジア系で、伝統的に北欧への帰属意識が高い地域です。2004年には悲願のEU(ヨーロッパ連合)加盟を果たしました。
- 紀元前からエストニア人が定住していた。
- 13世紀にデンマーク人が進出し、タリンを建設。
- 14世紀、ドイツ騎士団が領有。タリンはハンザ同盟に加盟し、栄えた。
- 17世紀初め、スウェーデン領となるが、1721年、スウェーデンがロシアとの北方戦争に敗れ、エストニアはロシア帝国に併合される。
- 1917年にロシア革命が起こると、独立を宣言。
- 1934年、親ドイツ政権が成立したが、1940年にソ連軍が送り込まれ、ソ連邦に加盟する。
- 1991年に独立を宣言し、翌年には新憲法を定める。
- 2004年、ヨーロッパ連合(EU)に加盟。
- 国民の約25%を占めるロシア系住民の地位などを巡り対立が続いている。
エストニアの場所と国データ
正式名称 | エストニア共和国 |
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英語表記 | Republic of Estonia |
漢字表記 | 愛沙尼亞 |
首都 | タリン |
略号 | EST |
面積 | 4万5000㎢(日本の約9分の1) |
人口 | 約136.5万人(エストニア統計庁2023年1月) |
通貨 | ユーロ(EUR) |
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言語 | エストニア語 |
民族 | エストニア人、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人など |
宗教 | キリスト教(ロシア正教、ルター派)など |
独立年 | 1991年にソ連邦から独立 |
国旗の比率 | 7:11 |
在留邦人数 | 166人 |