ポーランド


国旗のデザインの由来と意味


ポーランドの国旗画像(svg)

ポーランドの国旗(1990-)

は喜び、は独立のために流された血をあらわします。
ポーランドの国旗の起源は、デンマークのダンネブロ旗に匹敵するほど古い歴史を誇っているといいます。年代記によると、ポーランド建国の祖と伝えられる英雄レヒが、「赤い夕日を背景に、白い鷲が飛んでいるところに都を築け」という神の啓示にしたがってワルシャワを建設したとされていて、この伝説が国章や国旗の配色の由来となっています。

シンプルな二色旗ですが、政府旗には国章がつけられています。


ポーランドの政府旗

ちなみにこの国章付きの国旗。国内でとても人気があるそうです。


ポーランドの国章


冠をかぶり翼を広げた白鷲の盾型紋章。赤地に白鷲を配した図象の歴史は古く、11世紀のピアスト朝ポーランド王国で制定された国旗と国章にも使われています。

1945〜89年に使われていた国章は白鷲の王冠が取り除かれていましたが、ポーランド人民共和国からポーランド共和国に国名を改めたとき、王冠が復活しました。


ポーランドの国名について

「ポラーニン(平原の人々)」に由来するほか、最初に建国したポラーネ族はレックまたはレフ(Lech)族とも呼ばれており、「Lech」が「平原」を意味することが由来ともされる。


ポーランドの国旗の歴史


ポーランドは、ドイツの東、ベラルーシウクライナの西に位置する国です。ロシアとドイツ、オーストリアに何度も分割され、一度は120年以上にわたって地図から消滅しましたが、何度も国として復活してきました。ここでは、そんなポーランドの不死鳥のような歴史を辿りながら、一部の歴史的な国旗を紹介します。

かつてこの地には、スラブ人のポラン族という民族が住んでいました。
10世紀にポーランド王国が建国され、14世紀のピアスト朝の時代には、軍事・外交・内政にたくみな手腕を発揮した“大王”カジミェシュ3世のもと、経済的に大きく発展しました。


ピアスト朝ポーランド王国の国旗(1025-1386)


国王が急死したあと、ピアスト朝の血筋は途絶えてしまいますが、姉の子のハンガリー王ラヨシュ1世が王位を継ぎ、彼の娘ヤドヴィガが10歳の時に戴冠し、国王(女王)となります。ヤドヴィガがリトアニアの統治者と結婚したことで、これ以降ポーランドはリトアニアとの結び付きが深くなります。

16世紀には、選挙王政という制度(国王を選挙で選ぶ制度)に移行し、ポーランド・リトアニア共和国となりました。東ヨーロッパ最強の一角として、17世紀前半に最盛期を迎えますが、黄金時代は長くは続かず、衰退していきます。


ポーランド・リトアニア連合国の国旗(1569-1795)


列強国によるポーランド分割


18世紀になると、衰えたポーランドに対して、ロシア、ドイツ(プロイセン)、オーストリアによるポーランド分割が始まります。
国民的英雄として知られるコシューシコが蜂起を起こし、数回は勝利を収めたものの、1795年の第三次ポーランド分割でポーランドは地図上から消滅しました。


第一次ポーランド分割の風刺画
左から、ロシアのエカチェリーナ2世、ポーランドのスタニスワフ2世、オーストリアのヨーゼフ2世、プロイセンのフリードリヒ2世


1807年、ポーランドはワルシャワ公国として復活します。ワルシャワ公国は、フランスナポレオンが、プロイセンからの領土割譲によって作ったフランスの衛星国でした。この時制定されたのが、現在の国旗🇵🇱と同じ、白と赤の2色旗です。


ワルシャワ公国の国旗(1807-1813)

しかし、ナポレオンが1812年にロシア遠征に失敗した後、1815年のウィーン会議で、ワルシャワ公国は解体されてしまいます。


国土の4分の3は、帝政ロシアの衛星国で、ロシア皇帝が国王を兼ねるポーランド立憲王国となりました。国旗は、赤いカントンに王冠をかぶった白鷲を配したロシア海軍旗。


ポーランド立憲王国の国旗(1815-67)


その後ポーランドが独立国として復活したのは、第一次世界大戦が終わる1918年のことでした。
ヴェルサイユ条約の『民族自決の原則』(それぞれの民族は、自らその帰属や政治的運命を決定するべき。とする考え方)から、ドイツとソ連から領土が割譲され、ポーランド共和国が成立。現在と同じ二色旗🇵🇱が復活しました。

しかし、さらなる苦難がポーランドを襲います。
1939年、独ソ不可侵条約の秘密条約によって、ポーランドはナチス・ドイツのヒトラーと、ソ連のスターリンにより再び分割されるのです。

第二次世界大戦後は、ソ連の影響を受けた社会主義国家、ポーランド人民共和国ができました。そして冷戦終結前の1989年、共産党と自由主義勢力の「連帯」による連立政権が発足。民主化に移行し、ポーランド共和国と国名を改めました。

その後は経済発展と西ヨーロッパへの復帰が順調に進み、1999年にはNATO(北大西洋条約機構)に、2004年にはEU(ヨーロッパ連合)に加盟。

第二次世界大戦中に破壊された首都ワルシャワの旧市街は、市民によって丹念に復元され、1980年には世界遺産に登録されました。


Włodzimierz Tetmajer
死んだポーランドの寓話(1895)


ポーランドの歴史(略史)


  • 7世紀頃、スラブ人が定住を始め、10世紀にピアスト朝を形成、キリスト教を受け入れる。
  • 14世紀にリトアニア大公国と連合し、ヤギェウォ朝が成立、東ヨーロッパの大国となる。
  • 18世紀末、ロシアとプロイセン、オーストリアの3国により国土を分割され、王国は滅んだ。
  • 第一次世界大戦末期の1918年、共和国として独立。
  • 1939年、ドイツ軍が侵入し第二次世界大戦が始まる。
  • 第二次世界大戦後、共産党政権が成立し、1952年にポーランド人民共和国となる。
  • 1980年、労働者の組合「連帯」により、民主化運動が進められる。
  • 1989年の自由選挙で「連帯」が圧勝し、ポーランド共和国が成立。2004年にEU(ヨーロッパ連合)に加盟する。

ポーランドの国データ



正式名称 ポーランド共和国
英語表記 Republic of Poland
漢字表記 波蘭(略記:波)
首都 ワルシャワ
略号 POL
面積 32万2000㎢(日本の約5分の4)
人口 3839万人


通貨 ズロチ
言語 ポーランド語
民族 ポーランド人
宗教 キリスト教(カトリック)
独立年 1918年にドイツから独立
国旗の比率 5:8
在留邦人数
1776人

Information


ポーランドの国旗

POLAND
(3:5)


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