ギリシャ


国旗のデザインの意味と由来


ギリシャではガラノレフキ(青白旗)の愛称で呼ばれている旗。
は澄んだ海と空、は自由と独立を求める国民の純粋さをあらわします。カントン部分の白十字はキリスト教への信仰心をあらわすシンボル。
9本の縞の由来には3つの説があります。それぞれ、独立戦争時のスローガン「自由か死か(Ελευθερία ή Θάνατος) 」の9音節をあらわしているという説、独立戦争が9年間続いたからという説、また、ギリシャ神話に登場する最高神ゼウスに9人の娘がいたからという説で、真相は明らかになっていません。

ギリシャの国旗はオリンピック発祥国として、オリンピックの閉会式では国歌の演奏とともに掲揚されることになっています。また開閉式でも入場行進の先頭に立ちます。
(一方で、オリンピックの開催国は最後に入場することに定められています。開催国がギリシャだった2004年のアテネオリンピックでは、まず最初にギリシャの国旗だけが入場し、行進の最後尾にもう一度、ギリシャの国旗を掲げたギリシャ選手団が入場しました)

ちなみに、青色の正確な色合いは決められていません。その結果、明るい青や深い色の青まで、さまざまな色相の旗が使われています。


ギリシャの国名について

ペロポネス半島に移住した「高地の人」「名誉の人」の意味を持つ「Graecia」の名が由来とされているが定かではない。


ギリシャの国旗の歴史

ギリシャでは、古代にはアテネを中心に高度な文明が栄えましたが、紀元前4世紀以降は、長らく他国の支配下に置かれていました。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配の後は、オスマン帝国による支配が400年近くも続きました。当時はこんな旗が使われていました。


オスマン帝国下で、ギリシャ正教に
属する人が使っていた商船旗

オスマン帝国軍の、ギリシャ人の
シパヒス(封建騎兵)が使っていた旗


独立闘争のはじまり


1769年頃から独立戦争の初期段階まで、すべての革命家が使用していたのがこのようなデザインの旗でした。


独立闘争で革命家が使っていた旗

この配色の由来は不明ですが、赤い地色に新月と星が描かれたオスマン帝国の旗に対抗して、青×白の旗を掲げたという説もあります。


1821年、ギリシャ各地で民衆が蜂起し、独立戦争が始まりました。革命に関与した地域の代表たちによって、初めての国民議会(国会)が行われた時、ギリシャ正教徒が闘争のシンボルに掲げていたいくつか旗をモデルに最初の国旗が制定されました。陸用には、青地に白十字のプレーンな旗、海の旗には縞を使った旗(今の国旗と同じもの)が使われましたが、海の旗は特に人気があり、陸上でも国旗のかわりに使われたり、しばしば一緒に掲揚されました。


ギリシャ国の国旗(1822-32)(1975-78)


ギリシャ国の海軍旗


ギリシャ王国時代の国旗


こちらは、1832年、独立が決まって王政になったギリシャ王国で使われていた旗です。


ギリシャ王国の国旗(1833-1858)

ドイツのバイエルン公オットー1世を国王に迎えたため、中央にバイエルン王国の王冠を付けた縦型紋章が置かれています。


ギリシャはのちに共和制に移行し、それまでの青地に白十字の旗が国旗に復活。1978年には海軍旗🇬🇷が正式な国旗に代わりました。


ギリシャ独立戦争時の時代背景


ギリシャ独立戦争が起こった当時は、フランス革命やナポレオン戦争の影響でナショナリズムの精神が高まる中、各地の革命をウィーン体制で押さえ込んでいるような時代でした。(ウィーン体制とは、フランス革命とナポレオンによって生み出された「自由と平等」「国民の統一」といった革命理念を否定し、革命以前の絶対王政支配権を復活させるための体制です)。そのため、ヨーロッパ諸国はギリシャの独立には非協力的でした。

しかし、ギリシャが独立しようとしている相手は、イスラム教国のオスマン帝国。1822年にキオス島でオスマン帝国軍によるキリスト教徒虐殺が発生すると、ギリシャを救おうという風潮が高まります。このギリシャ独立戦争中に描かれたのが、フランスのロマン派画家ドラクロワによる『キオス島の虐殺』です。


『キオス島の虐殺』ウジューヌ・ドラクロワ
(ルーブル美術館)

また、多くの理想主義者、詩人、民族主義者らが義勇軍としてギリシャ独立戦争に参加し、ヨーロッパをはじめとする世界中の世論がギリシャの革命に同情を持つようになったのです。

このような影響下で、それまでは眺めるだけだったイギリス・フランス・ロシアら列強三国も重い腰を上げるのですが、次第にギリシャの独立はこれら列強の思惑に左右されていきます。


ロシアのニコライ1世が南下政策(ロシア帝国が不凍港を得るために、黒海方面、バルカン半島や中央アジア、東アジアで勢力を南下させ拡大する動き)によるギリシア援助を始めると、イギリス・フランスも東洋進出を狙って支援を強化。イギリス・フランス・ロシアの連合艦隊VSオスマン帝国(マフムト2世)・エジプト(ムハンマド=アリー朝)の連合海軍が激戦を繰り広げたナヴァリノの海戦で、オスマン帝国・エジプト艦隊が全滅しました。

1829年、ロシアとオスマン帝国の間でアドリアノープル条約が締結され、ギリシアの独立が認められました。翌30年にはロンドン会議で国際的に承認され、1832年、バイエルンの王子オットーが国王として迎えられ、ギリシア王国が成立します。(列強は共和制の樹立を支持せず、強制的に王政の国となりました)

しかし領土は限定され、ギリシャ領とならなかった地域に約200万人のギリシャ人が居住していたため、ギリシア人の間には不満が残りギリシャ人の対トルコ闘争は継続されることになりました。

この後、ギリシャ独立によって動揺がもたらされたウィーン体制は、ヨーロッパで1848年革命が発生すると崩壊。一方、南下政策を進めるロシアとトルコの対立は続き、クリミア戦争や露土戦争が起こっていきます。。


ギリシャの国データ


正式名称 ギリシャ共和国
英語表記 Hellenic Republic
漢字表記 希臘(略記:希)
首都 アテネ
略号 GRC
面積 13万1957㎢(日本の約3分の1)
人口 1081万人

通貨 ユーロ
言語 ギリシャ語
民族 ギリシャ人
宗教 キリスト教(ギリシア正教)
独立年 1830年にオスマン帝国から独立
国旗の比率 2:3
在留邦人数 653人

Information


ギリシャ国旗(3:5)


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