パプアニューギニア
国旗のデザインの由来と意味
黒と赤は、この国の文化に欠かせない、パプアニューギニアの伝統色。黒は国民を、赤はその活力と太陽をあらわし、黄色は豊かさをあらわします。赤地に描かれているのは、極楽鳥(ゴクラクチョウ)と呼ばれている国鳥の赤飾風鳥(アカカザリフウチョウ)で、自由・統合・飛躍の象徴。黒字に描かれた南十字星は、この国が南半球にあり、オーストラリアと強い結びつきがあることを示しています。
1971年、独立を前に行われた公募コンテストで、地元の美術教師スーザン・カリケ・フフメのデザインが採用され国旗になりました。
国章にも描かれている極楽鳥
槍と、クンドゥとよばれる太鼓の上で羽を広げている赤飾風鳥(アカカザリフウチョウ)。国旗では図案化したシルエットしかわかりませんが、国章にはその華やかな姿がはっきりと描かれています。
雄の成鳥は美しい飾り羽(オレンジ色の飾り羽を持ち、頭部は黄色、のどは緑色)を持っていて特に美しいことから極楽鳥と呼ばれています。富と幸福、親善のシンボルとして親しまれていて、伝統行事にはその尾羽が飾りとして使われます。
太平洋地域と欧州諸国の行き来が盛んになりだした頃、足を切り落とした剥製がヨーロッパに持ち込まれ「足がないので着陸できず、風を食べながら死ぬまで飛び続ける鳥」という伝説が生まれました。1521年、この島を通り、のちのフィリピンに向かったマゼランも『航海記』でこの鳥のことを「美しくも珍しい鳥」と記しました。また、手塚治虫の漫画『火の鳥』のモデルになったといわれています。
パプアニューギニアの国名について
「パプワ」はマレー語で「縮れ毛」を意味する。「ニューギニア」はパプア人がアフリカのギニア地方の人々に似ていたため、「新しいギニア」の意味で付けられた。
パプアニューギニアの歴史
パプアニューギニアは、オーストラリアの北方、ニューギニア本島の東半分と周辺の約700の島々からなる国です。赤道付近の国は世界地図では小さく見えますが、ニューギニア島は世界で二番目に大きい島です。第二次世界大戦中は日本軍が占領し、ニューブリテン島のラバウル、ブーゲンビル島、ラエなどは日米の激戦地になったことでも知られています。
20世紀のはじめ、南東部(旧パプア)はイギリス領を経てオーストラリア領に、北東部と周辺の島々(ニューギニア)はドイツ領を経てオーストラリアの委任統治領、信託統治領となり、1949年に統合。1975年にイギリス連邦の一員として独立しました。
※ニューギニア島の西半分は、19世紀後半からオランダ領でしたが、インドネシアに併合されました。
- 1526年にポルトガル人が来航
- 1884年 ドイツが島の東部北岸地域とビスマルク諸島を、イギリスが島の東部南岸地域を保護領にする
- 1906年 イギリス領はオーストラリア領に移り、パプアと改称
- 第一次世界大戦後、1920年にドイツ領はオーストラリアの国際連盟委任統治領、第二次世界大戦後の1946年に同国の国連信託統治領となる
- 1949年 パプアとニューギニアが一体化
- 1973年 内政自治権を得る
- 1975年 独立
- ブーゲンビル島は1975年に分離独立運動が起こり、1988年に革命軍と政府軍が衝突、2001年に和平協定が結ばれ、2005年に自治政府が発足した
パプアニューギニアの国データ
正式名称 | パプワニューギニア独立国 |
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英語表記 | Independent State of Papua New Guinea |
漢字表記 | 巴布亜新几内亜 |
首都 | ポートモレスビー |
略号 | PNG |
面積 | 46万㎢(日本の約1・25倍) |
人口 | 861万人 |
通貨 | キナ・トヤ |
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言語 | ピジン英語、英語、モツ語 |
民族 | メラネシア系 |
宗教 | キリスト教、祖先崇拝等伝統的信仰、など |
独立年 | 1975年にオーストラリアから独立 |
国旗の比率 | 3:4 |
在留邦人数 | 182人 |