ブータン
国旗のデザインの由来と意味
龍の絵を鱗までリアルに描いたユニークな旗。
「ブータン(ドゥク ユル)」はゾンガ語で「雷竜の国」を意味する言葉です。その昔、山にとどろく雷鳴が龍の鳴き声に聞こえたことから、龍は国民や王家のシンボルとして崇められ、守り神と考えられていました。
背景は2色に分けられていて、それぞれ世俗の王権、宗教の象徴です。黄色(サフラン色)は国王の権威や指導力を、オレンジはチベット仏教の信仰と宗教的実践を、龍の白は清浄と忠誠をあらわし、龍が掴んでいる玉石(ぎょくせき)は富と成熟をあらわしています。
長い間チベットとの交流が盛んで、19世紀半ばから使われていたこの国旗や、ブータンの国章にもチベットの影響が色濃く受け継がれています。
中心にあるのが宝玉(ほうぎょく)。そのまわりにあるのが、金剛杵(こんごうしょ)といってチベット仏教で使われる宝具です。この宝具が十字に交差され、世俗と宗教の両権力をあらわしています。左右には「雷竜の国」をあらわす龍が雌雄一対で配置されています。
上には赤い日傘(チャットラ)。また下に描かれた蓮の花は清浄をあらわしています。
ブータンの国名について
ブータンの言葉であるゾンガ語では「雷龍の国」を意味する。サンスクリット語の「チベットの端」にも由来するといわれている。
チベットの旗
チベットは古くから中国の支配圏にありました。中華人民共和国が成立した1949年、中国は自国領土の一部という名目でチベットを占拠。このとき結ばれた17か条協定は、それまで歩調をそろえて中国からの圧力に対抗していたモンゴルとチベットの命運を分けるものとなりました。
1959年にはチベット各国で大規模な反中国運動が発生し、これに対する弾圧で、最高指導者ダライ・ラマ14世はインド北部のダラムサラに亡命政府を樹立しました。
チベットは中国のチベット自治区と青海省・四川省・甘粛省・雲南省の一部として組み込まれ中国の一部となっていますが、一方で15万人あまりのチベット人が亡命し、今もインドやネパールの難民居留地で暮らしています。
このチベットの旗は、雪山の前面で、2頭のスノー・ライオン(チベット仏教に登場する神聖な唐獅子)が宝石を支えている様子から、「雪山獅子旗(せつざんししき)」と呼ばれています。
白で描かれた雪山の後ろから昇る旭日(光線を放つ太陽)は、国民が自由・幸福・繁栄をひとしく享受することをあらわします。赤と青の縞は、チベットの宗教的秩序と世俗的秩序が赤と黒の護法尊によって護られていることの象徴です。
スノー・ライオンが持ち上げている3色の宝石は、仏法僧の三宝。下の太極模様は、十善と十六観を意味し、これら聖俗の法を護ることで自己を律せよと説いています。
ちなみにチベット仏教は、チベットの国王が仏教にもとづいた国づくりを目指し、7世紀前半にインドから仏教を取り入れたのが始まりだといわれています。
ブータンの歴史
ブータンは、ヒマラヤ山脈南東部にある国です。北には中国のチベット自治区と国境を接し、そのほかをインドに囲まれています。1885年、ウゲェン・ワンチェクが各豪族をおさえて統一、現王朝を建てましたが、1910年にイギリスの保護領になりました。その後1949年に独立。
長年鎖国政策をとっていましたが、1971年には国際連合に加盟し、1972年に即位した第4代国王のもとで近代化が進められ、国民総幸福量(Gross National Happiness、略してGNH)という功利主義を採用。2008年には王政を撤廃し、立憲君主制に移行しました。
国名は「ブータン王国」ですが、別名”ワンチェク王朝”とも呼ばれているそうです。
- 8世紀中頃から仏教が広まる。
- 17世紀にチベットから来たガワン・ナムゲルが法王として即位する。
- 18世紀にチベットを征服した中国の清朝が影響力を持つが、1864年にイギリスと衝突し、南部地方をイギリスに譲り渡す。
- 1910年、イギリスの保護領となる。
- 1949年、インドと友好条約を結び、独立。
- 1950年代から近代化政策をすすめるが、1980年代の文化政策に南部住民が反発し騒乱が発生。
- 2006年に現王国が即位して、国会召集や憲法の施行などを行い、立憲君主制へと移る。
ブータンの国データ
正式名称 | ブータン王国 |
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英語表記 | Kingdom of Bhutan |
漢字表記 | 不丹 |
首都 | ティンプー |
略号 | BYN |
面積 | 3万8394㎢(九州とほぼ同じ) |
人口 | 75万4000人 |
通貨 | ニュルタム |
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言語 | ゾンガ語 |
民族 | チベット系、東ブータン先住民、ネパール系など |
宗教 | チベット仏教、ヒンドゥー教など |
独立年 | 1907年ブータン王国建国 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 111人 |