東ティモール
国旗のデザインの由来と意味
赤は長かった独立闘争を、黒の三角形は克服すべき困難を、黄色の矢は植民地主義の痕跡をあらわし、白は平和を、星は希望の道を示す光をあらわしています。
この旗が作られたのは、1975年のことです。
「東ティモール独立革命戦線(Fretilin)」が独立を宣言したときに国旗を制定しました。原型は、この独立革命戦線の党旗をモデルにしたものでした。
しかしその後、インドネシア軍が侵攻し、東ティモールを併合。東ティモールはインドネシアの27番目の州となってしまいます。
そして2002年、長い独立闘争の末に、東ティモールは晴れて独立を果たします。27年ぶりにこの国旗が空に翻ることとなりました。
東ティモール独立革命戦線の旗
五角星を入れた縦帯に、党の略号を置いた赤・黄・赤の横三分割旗。
実は、国旗のモデルにはもうひとつ候補がありました。それが次の、「東ティモール民族抵抗評議会(CNRT)」の旗です。
東ティモール民族抵抗評議会の旗
この旗は、独立投票をしてから実際に独立するまでの3年間、国連の暫定統治の期間中に代用されていたもので、独立時にはどちらを採用するかで揉めましたが、最終的に、東ティモール独立革命戦線の旗で決着しました。
東ティモールの国章
国章にも、東ティモールが歩んできた苦難の歴史があらわされています。
円形の紋章で、中にある盾の形は、国内最高峰のラメラウ山をあらわしたもの。その中にあるのは、平和をあらわす白い星、工業をあらわす黄色い歯車、農業をあらわすトウモロコシと稲穂、教育文化をあらわす赤い開かれた本。
さらに武器が描かれていますね。銃口を右に向けた自動小銃(AK-47がモデル)、その背後に黄金色の矢が交差し、自動小銃の下には黄金色のティモール式の弓が、弦を上にした状態で置かれています。これらの武器は、独立、主権、名誉を守るための、数世紀にわたる抵抗の歴史をあらわしたものです。
盾の下の帯には、国の新しい標語「Unidade, Acção, Progresso(統一、行動、前進)」が、ポルトガル語で記されています。
東ティモールの国名について
東ティモールの人々は自分たちの国を「Timor Lorosae(ティモール・ロロサエ)」と呼ぶ。「ロロサエ」とは、現地の言葉・テトゥン語で「太陽の昇るところ」という意味。
東ティモールの歴史(略史)
東ティモールは、インドネシアの南東にあるティモール島の東半分と周辺の小島からなる国です。
16世紀にポルトガルの植民地となり、その後オランダが進出してきたことで東西に分裂。
1975年、ポルトガルが撤兵すると同時に独立を宣言しますが、インドネシアが軍事侵攻し、強制併合されてしまいました。冷戦中の当時、西側諸国がインドネシアとの関係を重視し黙認する中、インドネシアのスハルト政権は抵抗運動を弾圧。20万人もの人々が戦死、または餓死したといわれています。
1999年、国連の主導のもと、独立の賛否を問う投票が行われ、独立派が圧勝。2002年にようやく独立を達成しました。
- 16世紀以降にポルトガルとオランダがティモール島に進出し、領有権を争った。
- 1859年、ポルトガルとオランダの間で、それぞれ東・西ティモールを分割。
- 第二次世界大戦中に日本に支配されたのち、大戦後に東半部はポルトガル領に復帰し、西半部はインドネシア領となる。
- 1976年、インドネシアが東ティモールを占領すると、武力衝突が起こる。
- 1999年の住民投票で独立派が勝利し、2002年に独立を達成。東ティモール民主共和国となる。しかし、独立後も不安定な情勢が続いている。
東ティモールの国データ
正式名称 | 東ティモール民主共和国 |
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英語表記 | The Democratic Republic of Timor-Leste |
漢字表記 | 東的木児 |
首都 | ディリ |
略号 | TLS |
面積 | 1万4900㎢(東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県の合計面積とほぼ同じ) |
人口 | 118万3000人 |
通貨 | アメリカ・ドル |
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言語 | テトゥン語、ポルトガル語、インドネシア語、英語 |
民族 | テトゥン族等のメラネシア系、マレー系、中華系など |
宗教 | キリスト教(カトリックなど)、イスラム教 |
独立年 | 2002年にポルトガルから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 124人 |