シンガポール
国旗のデザインの由来と意味
赤は全世界の友愛と平等を、白は永遠の純粋さと高潔をあらわし、5つの星は民主・平和・進歩・正義・平等をそれぞれあらわしています。
また、三日月はそれらの理念を支える若い国家がこれから隆盛していくことを象徴したシンボルです。
三日月と星のシンボルが組み合わされていることから、イスラム教の国をあらわすともいわれてきましたが、実はそうではありません。シンガポールではイスラム教も信仰されていますが、一番多くの国民が信仰しているのは仏教なんです。ではなぜ、三日月と星が使われることになったのでしょう?
実はこれは、シンガポールに住む、中華系住民とマレー系住民、それぞれの民族的感情を尊重した結果でした。つまり、5つの星は中華系住民が望んだ、中国の国旗にちなんだシンボル。そして三日月は、マレー系の住民(ほぼ100%がムスリム)が望んだ、イスラム教のシンボルなのです。
(出典:『リー・クアンユー回顧録 ―ザ・シンガポールストーリー 』より)
シンガポールは、1965年にマレーシアから独立した国です。マレーシアの中では例外的に、華人(華僑)と呼ばれる中華系住民が多く住む地域で、中華系住民とマレー系住民はしばしば衝突していました。
この旗は、まだイギリスの植民地だった時代の1959年、シンガポール州として自治権が認められたときに州の旗として誕生したものですが、旗のデザインを決める際にも、デザインの面で多くの議論が飛び交ったそうです。シンガポールに住む、中華系の人々は中国に似た旗を、マレー系の人々はイスラム教らしい旗を、それぞれ望んだのですね。
配色についても、中華系住民は幸運を表す赤を、マレー系住民は勇気と純潔を表す伝統的な色である赤・白を希望したということです。
1963年には、マレーシアと周辺地域がまとまって「マレーシア連邦」として一緒に独立しましたが、結局2年後、シンガポールはマレーシアから追い出されるような形で独立しました。しかしその後、初代首相に就任したリー・クアンユーが強力なリーダーシップを発揮。いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権といわれながらもシンガポール経済の飛躍的繁栄を実現しました。
https://web.archive.org/web/20100921191446/http://contactsingapore.sg/Library/1/publications/21/Synergy_Sep,Oct09_Low-Res_(FINAL).pdf
旗のデザインを決めるときには、さまざまな議論が飛び交ったといいます。そして人種的な感情を尊重した結果、シンガポールに多く住む中華系の住民(華僑)の希望と、マレー人
マレーシアはその名が示しているように、マレー人が圧倒的に多い国。一方シンガポールは、中華系の住民(華僑)が多い地域でした。当時マレーシアではマレー人優遇政策がとられていたため、シンガポールの中華系住民は反発し、マレー人としばしば衝突しました。そして関係悪化の末、マレーシア連邦を追い出されるような形で独立したのが、この都市国家「シンガポール共和国」です。
この旗が初めて採用されたのは、まだイギリスの植民地時代だった1959年のことです。シンガポール州として自治権が認められ、州の旗として誕生しました。
4年後、シンガポールはマレーシア連邦に加わって独立するのですが、連邦はマレー人優遇政策を行なったため、中華系国民が大半を占めるシンガポールでは中華系が反発し、マレー系としばしば
衝突しました。
フィリピン
第二次世界大戦後、独立を獲得。
・マルコス大統領(在1965-86)
開発独裁(反共・親米派)
戦後のフィリピンの経済成長のために独裁権力を握った大統領
しかし、経済はあまり成長しなかった。民主化を求めて反政府運動の高まり
イスラム教徒たちが抵抗運動、武装抗争などがあった。
マルコス大統領は失脚
インドネシア
・スカルノ大統領(在1945-67)
九・三〇事件(軍部クーデター)
軍部保守派が実権を掌握、このときの指導者がスハルト。
・スハルト大統領(在位1968-9)反共親米路線
東南アジアの社会主義化を防ぐために作られた組織 ASEAN結成
しかし次第に反共色は薄れ、経済協力組織としての色合いを強めていくことになる。
開発独裁を行うが、東ティモールやアチェでインドネシアからの独立を求める動きがあった。対立が生まれていく。
最終的に、アジア通貨危機の混乱を収めることができずに退陣。
→スハルト退陣
民族対立や宗教対立が、東南アジアでも顕著に見られた。
マレーシア
・マラヤ連邦の成立
イギリス連邦の自治領
・マレーシア連邦の成立
マラヤ連邦、シンガポールなど
マレー人優遇政策。→貧富の差を解消することが目的
華僑(中国系)と対立。※かつて中国から東南アジアに渡ってきたひとたち。経済的に成功した人が多かった。
→シンガポール分離・独立(1965)華僑が中心となった国ができた。独立後、経済的に急成長。
・新興工業経済地域(NIES)の一因に。
※発展途上国の中から、急速な工業化に成功し、高い経済成長率を実現した国(韓国、台湾、香港、シンガポール)
このように、マレー人を優遇するマレーシアに対して、華僑が立ち上がって独立を獲得した。
武力衝突こそなかったけど、その根底には民族の違いがった。
シンガポールの国章
シンガポールの国章にも、中央の盾の部分に、三日月と5つの星があしらわれています。
盾の左に、国名の「獅子の町」をあらわすライオン、右にはマレーシアとの関係をあらわすマレー虎(マレーシアの国章にも、虎が描かれています)。下のリボンには、国の標語「Majulah Singapura(前進せよ、シンガポール)」がマレー語で記されています。
ちなみに、シンガポールの象徴として有名な、頭がライオン、胴体が魚の石像「マーライオン」は1964年にシンガポール政府観光局の依頼により考案されたトレードマークを石像化したものです。
(参考:シンガポールの神話と伝説|文化と芸術|シンガポール観光ガイド)
シンガポールの国名について
国名はサンスクリット語で獅子を意味する「シンハ(siṃha)」と町を意味する「プーラ」で「獅子の町」に由来する。14世紀頃、この国を統治していたスマトラの王子が、白いたてがみのライオンに似た動物を目撃したことから、「ライオンの町」を意味する国名となった。Lion Cityの愛称で呼ばれる。
シンガポールの歴史(略史)
- ヨーロッパと東南アジアをつなぐ主要航路の中継地点をして古くから栄える。
- 14世紀頃にマラッカ王国が建国されるが、1511年にポルトガルによってマラッカ王国が滅ぶと、ジョホール王国の支配下に入る。
- 1819年にイギリス人ラッフルズがこの地を買収し、1824年にイギリス領となる。
- 第二次世界大戦中は日本が支配するが、大戦後にイギリス領に戻る。
- 1959年、イギリスから自治権を得て、1963年にマレーシア連邦の一部として参加。1965年にマレーシアから分離・独立。
- 独立したときから31年間首相をつとめたリー・クワンユー、そのあと14年間首相をつとめたゴー・チョクトン、2004年からリー・シェンロン(リー・クワンユーの息子)と続き、安定した政権が続いている。
シンガポールの国データ
正式名称 | シンガポール共和国 |
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英語表記 | Republic of Singapore |
漢字表記 | 新加坡(略記:星) |
首都 | なし |
略号 | SGP |
面積 | 720万㎢(東京23区とほぼ同じ) |
人口 | 564万人 |
通貨 | シンガポール・ドル |
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言語 | マレー語、英語、中国語(北京語)、タミル語 |
民族 | 中華系、マレー系、インド系、その他 |
宗教 | 仏教、イスラム教、キリスト教、道教、ヒンドゥー教 |
独立年 | 1965年にマレーシアから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 3万6423人 |