韓国


国旗のデザインの由来


太極旗(テグキ、またはテグッキ)」と呼ばれている韓国の国旗。
この太極旗があらわしているのは、中国古来から伝わる宇宙・万物の真理。実はとても哲学的な国旗です。

は、韓国の人々の伝統と誇りをあらわした配色で、特には平和や清らかな心をあらわしています。韓国の人たちは、古くから「白衣民族」と自称していたほど、白い衣を日常的に着ていました。また、も朝鮮民族の伝統的な色です。


蕙園伝神帖 『雙劍對舞』 申潤福(澗松美術館所蔵)

旗の中央にある円は「太極(たいきょく)」といい、宇宙にある万物の根源をあらわします。
の部分は陽、の部分は陰。太極から陰・2つの気が生じ、混沌と渦巻いて混じり合い、永遠にバランスを保ちながら調和する様が描かれています。

これは、例えば太陽と月、天と地、男と女、光と闇のように、相反するもの同士が合わさって調和が保たれているという、中国古来の思想「陰陽説」の考え方をあらわしたものです。


四隅にあるのは、「(け)」と呼ばれる、易学で使われる基本図象。
さきほどの陰陽説と「五行説」が結びついた「陰陽五行説」から生まれたもので、算木という棒を組み合わせてできる形のことです。


ここに配置されているのは「先天八卦(せんてんはっけ)」の、乾・離・坎・坤(けん・り・かん・こん)の四卦。四卦は、東西南北、天地火水、春夏秋冬などさまざまな事象をあらわす図象です。

その対立的な陰と陽の要素が向き合い一対となり、右から左へ回転する、太極の陰陽模様と切り離せない関係で配列されています。(『韓国民族文化大百科事典』より)
つまり全体で見ると、宇宙の創造の力を中心に、相対するあらゆる万物が生まれて発展し、お互いに併存・調和しつつ統一されるありさまを示すようなデザインになっているんです。

またこの国旗は、日本からの独立後に制定されたものですが、その起源は古く、李氏朝鮮(朝鮮王朝)の時代から国王の旗として使われていた、歴史と伝統を持った旗でもあります。

1949年に大韓民国の法令で詳細な制作方法が決定されるまではデザインが統一化されていなかったため、同じ時代でも卦の配置や陰陽の向きが違うなど、色々なバリエーションの太極旗が存在していました。


韓国の国旗の構成シート

太極旗の制作方法


韓国(大韓民国)の国名について

「韓国」とは、韓族と呼ばれる民族名にもとづいた国名。紀元前2世紀頃、朝鮮半島南部に存在した三韓(馬韓、弁韓、辰韓)と呼ばれる古代部族に由来するといわれている。「韓」とは、ウラル・アルタイ語系の「偉大なる」を意味し、「偉大な国」となる。


太極旗の歴史


李氏朝鮮は、1392年から1897年(大韓帝国として1910年まで存続)にかけて朝鮮半島に存在した国家です。1882年に制定された国王旗がこちら。

李氏朝鮮の最後の王であり大韓帝国初代皇帝、高宗の旗です。


李氏朝鮮の最後の王であり大韓帝国初代皇帝
高宗の旗(1882-97)

中央に黄色の太極、周囲に黄色い八卦が置かれていて、黄色の縁取りと緑のフリンジ(紐や糸のかざり)が付いています。


日本で国旗が制定されたのは、ペリー来航(1853年)によって欧米列強との本格的な外交が始まり、正式な国旗が必要になったことからでしたが、朝鮮でも国旗の制定について議論が始まったのは、日本と日朝修好条規条約(1876年)を締結してからのこと。

1897年には、李氏朝鮮は国名を大韓帝国と改めました。


大韓帝国国旗(1897-1910)

当時の旗は今の国旗の原型ですが、太極と四卦のデザインが違っていました。


一説にはこの国旗は、1882年に清国から米朝修好通商条約締結を斡旋するため朝鮮を訪れた、外交官であり思想家の馬建忠(ばけんちゅう)が、太極図を使った旗にするのはどうかと提案した図案がもとだとされています。

その後、朝鮮の特命全権大使(外交使節団の最上級の長)として日本に派遣された朴泳孝(ぼくえいこう)によって修正されたことから、朴泳孝が考案したともいわれていて、さらにそれ以前から使われていたなど諸説あり、李氏朝鮮が太極旗を国旗とするまでの経緯については不明瞭な部分が残っています。

1883年には国王高宗の勅命によって、太極と四卦からなる太極旗が国旗として制定されました。


独立運動のシンボルにもなった太極旗

1910年、韓国併合条約によって大韓帝国は日本に併合され、当時の太極旗は国旗としての地位を奪われることになりました。その結果、太極旗は日本からの独立運動のシンボルとなります。

時は第一次世界大戦の末期。ロシア革命が起こり、ドイツ帝国やハプスブルク帝国が倒れ、民族自決を求める人々によって反帝国主義の波が一挙に高まってきた時期でもありました。1918年には、日本でも米騒動、中国でも五・四運動が起こりました。

民族自決とは

それぞれの民族は自らの運命を自ら決するべきである、とする考え。第一次世界大戦期の民族主義の高まりの中で提唱され、ソ連のレーニンによる「平和についての布告」と、アメリカのウィルソンによる「十四か条の平和原則」に盛り込まれた。

そして1919年、3月3日に予定されていた初代皇帝高宗の葬儀直前の3月1日、朝鮮全土で一斉に独立運動が始まりました。これを「三・一独立運動」といいます。

人々は太極旗を振りながら「独立万歳」と叫んでデモ行進をしたので「万歳事件」とも呼ばれています。

現在でも韓国では、毎年3月1日の「三一節(三・一独立運動の日)には、国内のいたるところに国旗が飾られます。


韓国(大韓民国)の歴史


※1945年までの朝鮮半島の歴史部分は、北朝鮮に記載している内容と同じです。

韓国(大韓民国)は、朝鮮戦争による南北分断によって、南半分に生まれた国です。日本にとっては最も近い外国で、古くから大陸文化の窓口として交流が続けられていました。

幕末以来、日本と朝鮮の関係は途絶えていましたが、明治政府は国交の回復をはかります。しかし受け入れられず、1875年、日本は江華島事件(江華島沖で日本と朝鮮の間で起こった武力衝突事件)を機に朝鮮に迫り、翌年日朝修好条規を結んで朝鮮を開国させました。

その後軍事的圧力を強めた日本は、日露戦争に勝利した後の1910年、大韓帝国を併合し朝鮮半島を日本の領土とします。日本による朝鮮半島の支配は、太平洋戦争の終戦まで35年に及びました。


雲揚号兵士朝鮮江華戦之図(1877年 木版画 / 想像図)

戦後は、朝鮮半島の北緯38度線を境に、北はソ連、南はアメリカが事実上の支配を行いました。

東西冷戦が進む中、朝鮮は南北に分断され、北に北朝鮮、南に大韓民国が生まれ、1950年には朝鮮戦争が勃発します。この戦争は膠着状態となり、ソ連大使の提案によって1963年に休戦協定が結ばれ停戦となりました。しかし韓国政府はこの協定に署名を行っておらず、朝鮮戦争は現在にいたるまで正式には終わっていません。


  • 中国の前漢の武帝の時代に、朝鮮に4郡がおかれた。3世紀に氏族国家が形成されると、4世紀からは高句麗・新羅・百済の三国時代が始まる。7世紀に新羅が統一するが、935年に高麗が新羅を滅ぼす。
  • 13世紀にはモンゴルの元朝の支配を受け、元が日本へ遠征(元寇・げんこう)したときには高麗からも軍を送る。
  • 1392年、李成桂(りせいけい)によって新たに朝鮮(李朝)が建国される。1443年には現在も使われるハングル(訓民正音・くんみんせいおん)を定める。
  • 16世紀後半には豊臣秀吉による2度の侵攻を受けるが、中国からの援軍もありこれを撃退。
  • 19世紀になると、欧米諸国から開国や通商を求められ、また日本の軍事的圧力が始まり、1876年に日朝修好条規を結んで開国。
  • 1894年から始まる日清戦争で日本が中国に勝つと、1910年に日本の植民地として併合される(韓国併合)。
  • 1945年、第二次世界大戦で日本が敗北して、アメリカとソ連が南北に分割して進駐。両者の対立によって、1948年、南部が大韓民国として独立。
  • 1950年、朝鮮戦争が起こり、1953年に休戦。
  • 1991年、南北朝鮮が国連に同時加盟。
  • 2018年の南北首脳会談の後、両者の仲直りが期待されている。

1948年8月15日
大韓民国政府樹立式典の場で掲げられた太極旗


韓国(大韓民国)の国データ



正式名称 大韓民国
英語表記 Republic of Korea
漢字表記 韓国(略記:韓)
首都 ソウル
略号 KOR
面積 10万㎢(日本の約4分の1)
人口 5127万人


通貨 ウォン
言語 韓国語
民族 韓民族
宗教 仏教、キリスト教(プロテスタント、カトリック)、儒教など
独立年 1945年に日本から独立
国旗の比率 2:3
在留邦人数 3万8045人

Information


韓国国旗
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