ベトナム


国旗のデザインの由来と意味


ベトナムの国旗は「金星紅旗」と呼ばれています。
第二次世界大戦中に、ソ連の国旗の影響を受けて作られたデザインがもとになっています。

は社会主義国に共通の色で、独立のために流された血をあらわし、黄色は革命をあらわしています。中央のも社会主義国家のシンボルとして知られ、星の5つの光(角)は労働者、農民、兵士、知識人、商人をそれぞれあらわします。

この旗は、第二次世界大戦中、「ベトナム建国の父」として知られるホー・チ・ミン率いる「ベトナム独立同盟ベトミン」によって、フランス日本からの独立を求めて掲げられました。(当時、ベトナムはフランスの植民地でしたが、第二次世界大戦中は日本軍が進駐していました。)
グエン・フー・ティエンという革命家によってデザインされたといわれていて、もともとは革命のシンボルとして使われていた旗なんです。

大戦後、ホー・チ・ミンの指導のもと「ベトナム民主共和国(かつての北ベトナム」が独立を宣言したときに国旗として採用され、またベトナム戦争が終わった後の1976年、南北ベトナムが統一されて現在のベトナム社会主義共和国となってからも、そのまま統一国旗として採用されています。

ちなみに、もともとの旗(ホー・チ・ミンが掲げた旗)は、今よりも星が少しふっくらしていました。


ベトナム民主共和国の国旗
(1945-55)


ベトナムの国旗の設計シート

現在の国旗の設計図


ベトナムの国名について

諸説あるが、ベトナムは漢字で「越南」と書くことから、中国浙江省(せっこうしょう)に存在した古代国家「越」が滅亡したときに、末梢が南下して興した国だといわれている。


ベトナムの国旗の歴史①


ベトナムは、紀元前2世紀頃から歴代の中国王朝に支配されてきました。10世紀には独立しますが、その後も中国との朝貢関係(中国の皇帝に対して周辺諸国の君主が貢ぎ物を献上し、皇帝側は恩恵として返礼品をもたせて帰国させることで外交秩序を築く関係)が続きました。

1009年に李朝が成立、その後、陳朝(ちんちょう)黎朝(れいちょう)と続き、農民反乱によって西山朝(せいざんちょう・タイソンちょう)が成立。
1802年には、阮福映(げんふくえい)が、フランス人ピニョーの支援を受け、西山朝を倒し全土を平定。ベトナム最後の王朝として知られる阮朝(グエン朝)を建国し初代皇帝となります。

西山朝、阮朝の国旗は、周囲にフリンジの付いたこんなデザインでした。


西山朝の国旗(1778-1802)

阮朝越南国の国旗(1802-85)


1858年、阮朝がキリスト教を禁止し宣教師を処刑したことをきっかけに、フランスのナポレオン3世はインドシナ出兵を開始し、激しいフランス=ベトナム戦争が起こります。その結果、ベトナム南部がフランスの直轄領となりました。

そして1884年には、ベトナム全土の植民地化を目指すフランスと、ベトナムを藩属国としてその宗主権を主張する清との間で清仏戦争が起こりました。清は敗北し、これ以降約50年にわたり、ベトナムはフランスの保護領となります。

その頃に阮朝が使っていた国旗も、なかなかユニークなデザインです。


大南国の国旗(1885-90)

ややこしい話ですが、ベトナムの阮朝は当時、清に対しては朝貢国の長をしめす「越南国」と名乗りつつも、その他の国や国民に対しては「大南国大皇帝」と自称するという、「二枚舌」とも呼ぶべき統治を行っていました。

ちなみに黄色はベトナム王室の色です。中国では古来から、陰陽五行思想にもとづき、黄色は皇帝を示す高貴な色、赤は成功と幸運を呼び込む色とされていますが、中国文化の影響を受けてきたベトナムでも、黄色と赤の旗が代々使われてきました。


1890年、大南国は「フランス保護領アンナン」となり、域旗が制定されました。「アンナン(安南)」とは、ベトナムに対する外国からの呼称です。阮福映がベトナムを統一して以降、ベトナムは日本やヨーロッパから、「アンナン帝国(王国)」と呼ばれていました。


フランス保護領アンナンの域旗
(1890-1920)


フランス保護領アンナンの域旗
(1920-23)

また、1887年からはフランス領インドシナ連邦が成立し、ベトナムもそこに編入されていました。

域旗に制定されたのは、黄色の旗のカントン部分にフランスの国旗が置かれた旗です。


フランス領インドシナ連邦の域旗
(1923 – 1945)


フランスの国旗とアンナン(阮朝)の旗が描かれた、
フランスのプロパガンダ絵画


ベトナムの国旗の歴史②第二次世界大戦後


さて。ここからは、第二次世界大戦後のベトナムの歴史的な旗を紹介しながら、第二次世界大戦 〜 ベトナム戦争の歴史についてざっくりと解説します。


1939年から1945年まで続いた第二次世界大戦は、全世界を巻き込み、人類史上最大の戦争となりました。

1940年には、ヒトラー率いるナチス・ドイツがパリを占領し、フランスが降伏。ドイツと同盟日独伊三国同盟を結んだ日本は、フランスが支配しているベトナムに進駐しました。

フランスや日本からの支配を脱却して独立したいベトナム。フランスで共産主義に影響を受け、ロシア革命後はフランス共産党にも参加したホー・チ・ミンは、ベトナムに帰国後、独立を掲げ「ベトナム独立同盟会ベトミン」を組織しました。


ベトナム革命を指導した建国の父
ホー・チ・ミン


そして1945年、日本の敗戦を受け、ホー・チ・ミンは、ベトナム北部のハノイで「ベトナム民主共和国北ベトナム」の独立を宣言しました。


北ベトナムの国旗


ベトナム民主共和国の国旗
(1945-55)

しかし、第二次世界大戦の戦勝国となったフランスはベトナムの独立を認めなかったので、ベトナムとフランスとの間でインドシナ戦争(1946~54年)が起こりました。


当時は冷戦の真っ只中。ソ連、中国に支援を受けたベトミンはゲリラ戦を展開し、フランス軍を壊滅状態に追い込みます。フランスはベトナムから撤退せざるを得なくなりましたが、今度は共産主義の国を増やしたくないアメリカが本格的に介入してきました。

1955年にはベトナムの南側に、親米・反共政策をとる「ベトナム共和国南ベトナム」が成立。ベトナムは、ソ連・中国に支援を受けるホー・チ・ミンの「ベトナム民主共和国北ベトナム」と、北と南で二分されることになりました。


南ベトナムの国旗


ベトナム国 〜 ベトナム共和国の国旗
(1949-75)

しかし、南ベトナムの最初の大統領になったゴ・ディン・ジエムは、アメリカからの資金援助を横領したり仏教徒を弾圧したため、民衆から嫌われました。


そのため、「ホー・チ・ミンが指導する北ベトナムと一緒になりたい」と考えた人々によって、南ベトナムの中で「南ベトナム解放民族戦線」が結成されます。


南ベトナム解放民族戦線の党旗


南ベトナム解放民族戦線 〜 南ベトナム臨時革命政府の旗
(1960-1976)

さらに、南ベトナム政権では軍事クーデターが頻発。ゴ・ディン・ジエム大統領が暗殺された後もクーデターは終わらず、内閣の交代が繰り返され、アメリカが支援する南ベトナムのリーダーは定まりませんでした。


「このままでは、南ベトナム解放民族戦線によって南ベトナムがつぶされ、北ベトナムに併合されてしまう。」と慌てたアメリカは、軍事介入を行って北ベトナムの爆撃北爆を開始。アメリカ、韓国フィリピンオーストラリアなどから50万人以上の軍を派遣し、地上戦では、北ベトナム(ベトミン)が支援する南ベトナム解放民族戦線との戦いを始めました。

こうして、ベトナム戦争が本格的に始まったのです。


泥沼化したベトナム戦争


爆弾を投下するアメリカ空軍のボーイングB-52戦略爆撃機

ベトナム戦争は長期化し、アメリカは思った以上に苦戦しました。
南ベトナム解放民族戦線の兵士達は、各地でゲリラ戦を展開し、アメリカ軍に猛反撃。彼らは兵士の軍服を着るのではなく農民の格好をしていたため、アメリカ軍には解放戦線の兵士と一般市民の見分けがつきませんでした。アメリカ軍は精神的にも追い込まれていきます。

またメディアの発達によって、ベトナム戦争の生々しい映像が世界中に流され、アメリカ国内をはじめ、ヨーロッパや日本でもベトナム反戦運動が高まっていきました。


反戦パフォーマンスを行うジョン・レノンとオノ・ヨーコ

「これ以上戦争への介入はするべきではない。」と、アメリカのジョンソン大統領が北爆の部分停止を表明し、1968年、パリ和平会談が始まりました。
和平会談が難航する中、アメリカでは「ベトナム戦争を終わらせる。」と言って、ニクソン大統領が当選します。


選挙戦を戦うリチャード・ニクソン大統領

しかしニクソン大統領は、交渉を有利に進めようと、カンボジア侵攻、ラオス空爆と戦線を拡大して犠牲を増大させてしまい、さらに軍事的成果を上げることもできませんでした。
こうして国内外の反戦運動がさらに高まり、国際的にもアメリカは非難を浴びます。


ようやくべトナム和平協定が成立した1973年の3月、アメリカ軍が撤退を始めます。


「ハノイ・タクシー」と呼ばれたロッキードC-141輸送機で、
北ベトナムから帰国の途に就くアメリカ軍人捕虜

その後も南ベトナムは、北ベトナムに対して抵抗を続けましたが、1975年4月、解放戦線がサイゴンを陥落させ、南ベトナム政府はここに崩壊。
ベトナム戦争は北ベトナムと解放戦線の勝利に終わり、ついに南北ベトナムの統一が実現しました。


1976年には現在のベトナム社会主義共和国が成立。

統一後のベトナムでは、1980年代後半からドイモイ(刷新)と呼ばれる新しい政策路線をとり、社会主義からの転換をはかって市場経済を導入。
1995年にはASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟し、同年、アメリカとも国交を正常化させました。アジアの新興国の中でも急激な経済成長を続けていて、現在は東南アジアの有力な国となっています。

日本からも、毎年多くの観光客がベトナムを訪れています。建国の父の名が付けられたベトナム最大の都市、ホーチミンは東洋のパリといわれていて、フランス統治時代のなごりが残る美しい街並みを堪能することができます。


ベトナムの歴史(略史)


  • 北部地域では、紀元前2世紀頃から中国王朝の支配が広がり、前漢時代には交趾郡(コーチぐん)がおかれた。
  • 938年に独立し、1009年には李朝が成立し、陳朝、黎朝と続く。
  • 1802年に阮福暎(げんふくえい)がフランス人ピニョーの支援を受けて、農民反乱によって成立した西山朝を倒し、全土を平定。ベトナム最後の王朝である阮朝を建国する。
  • 1885年からフランスの植民地となり、第二次世界大戦中は日本とフランスから二重に支配される。
  • 日本敗戦後の1945年9月、ベトナム民主共和国として独立し、ホー・チ・ミンが大統領になる。
  • 1946年、ふたたび植民地化を図るフランスとの間でインドシナ戦争が起こり、1954年に休戦協定を結び、北緯17度線を南北の境界とする。その後、休戦協定に反対したアメリカとの間で対立が深まり、ベトナム戦争に発展。1965年にはアメリカ軍による北爆が始まる。
  • 1973年にパリ和平協定が結ばれてアメリカ軍が全面撤退。
  • 1976年に南北ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国が成立する。

ベトナムの国データ



正式名称 ベトナム社会主義共和国
英語表記 Socialist Republic of Viet Nam
漢字表記 越南(略記:越)
首都 ハノイ
略号 VNM
面積 32万9241㎢(日本の約90%)
人口 9467万人


通貨 ドン
言語 ベトナム語
民族 キン族(越人、約86%)、他に53の少数民族
宗教 仏教、キリスト教(カトリック)、カオダイ教など
独立年 1945年にフランスから独立
国旗の比率 2:3
在留邦人数
1万7266人

Information


ベトナム国旗
(3:5)


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